石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「大阪モデル」と掛けて、ぺこぱと解く、その心は?

昨日の拙ブログで述べたように、「大阪モデル」の「自粛要請」は飲食店などの「営業自粛要請」であり、一般住民の不要不急の外出を制限する「外出自粛要請」の基準ではありません。つまり、手洗いの励行や「3密」を避けた行動などは継続となりますし、接客を伴う飲食やライブハウス、カラオケボックスなどの営業の取り扱いは、段階的に検討されていくこととなるのだと思います。

 

「『大阪モデル』と掛けて、ぺこぱと解く」、その心は、「時を戻そう!」。

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図1「警戒基準への過去の評価」(一部加工)【出典】大阪府新型コロナウイルス対策本部

新型コロナウイルス感染症」の鎮静化の状態にある現時点での「大阪モデル」は、警戒信号の消灯基準に焦点が当てられているために、「2.新規陽性者における感染経路(リンク)不明者数」、「3.確定診断検査における陽性率」、「4.患者受入重症病床使用率」の3基準に耳目が集まっていますが、逆の警戒信号点灯基準においては、4.に代わり、「1.新規陽性者における感染経路(リンク)不明者前週増加比」が入った3基準となっています(つまり、数に加え、傾きを基準にしています)。

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図2「モニタリング指標と警戒基準の考え方」【出典】大阪府新型コロナウイルス対策本部

この4基準の設定については、別に私の考えを述べますが、ポイントは、3月27日に「大阪モデル」の「自粛要請」の3基準の設定値が全て超えていることです。そして、その日からおよそ2週間後の4月9日〜10日に大きなピークを迎えていることです。

 

繰り返しになりますが、「時を戻そう!」です。つまり、図2の最下段に※のついた注がありますが、「3月末の感染爆発の兆候が見られた際の実績値等に基づき設定」とあるように、今回の事実を根拠として、基準を提示したということです。今後、他のデータ(例えば、厚生労働省新型コロナウイルス対策本部クラスター対策班が見解を示しているように、推定感染者数のピークは3月29日としている)や新たな事実が加わり、さらに精度を上げていくことは言うまでもありませんが、この事実に基づく姿勢は評価されるべきです。

 

「大阪モデル」はあくまでも「営業自粛要請」に関することであり、医療現場に過剰な負荷がかかった感染者数をコントロールする術ではありません。今後、その感染者数のピークを制御するためには、さらに、疫学統計学上の信頼性を担保した上で、3月下旬の2週間前(=3月15日前後)に「時を戻さ」なければならないということになります。すなわち、安倍首相が「休校宣言」をした2月下旬と3月下旬の間に何が起こっていたのかを問い直さなければならないということです。

 

「大阪モデル」の「自粛要請」の定義は?

大阪府が、5月5日に発表した「新型コロナウイルス感染症」(以下、「新型コロナ」)の自粛要請及び自粛解除の独自指針(以下、「大阪モデル」)は、「住民に分かりやすい基準」と「吉村大阪府知事の政治姿勢」を示すという2点において、評価出来ると思います。

 

「新型コロナ」における吉村知事の印象は、3月19日の記者会見で、20日からの3連休における往来自粛を大阪府兵庫県の間(阪神間)に限定して要請したことではないかと思います(大阪府知事が、往来自粛を兵庫県に限定したことについては、拙ブログで取り上げました)。こういった印象は、私だけが残っているのかも分かりませんが、吉村知事が「自粛要請」というと、移動などの外出の自粛要請を連想していまします。しかしながら、その文脈で「大阪モデル」を理解しようとすると、大いなる誤解が生じてしまうようです。

 

どうも、大阪府が用いている「自粛要請」は、飲食店などに対して要請している「営業自粛要請」を指しているようです。「ようです」と曖昧な表現としているのは、大阪府新型コロナウイルス対策本部会議の公式資料では、「自粛要請」の定義がなされていないからです(もしかすると、大阪府民に対しては「自粛要請」の定義はなされているのかも知れませんし、これまでの一連の「新型コロナ」の対応の時間的経緯によって、既に「営業自粛要請」の理解が共有されているのかも知れません)。

 

公式資料に基づき、以上のことを推察しながら、私なりに判断すると、「大阪モデル」は、感染拡大の抑制と経済活動を含む社会活動の継続の二つを実施するための「営業自粛解除」の基準を示したということになります。私も、感染拡大抑制と社会活動の継続の両立は、「過度な安全サイド」ではなく、クリティカルに判断していかなければならないと考えており、「過剰自粛」による経済活動の抑制には反対の立場ですから、詳細な内容は別として、「大阪モデル」が目指そうとしている方向性は支持しています。

 

詳細は別の機会に譲りますが、5月5日時点の「大阪モデル」では、「外出自粛要請」の基準にはならないことを我々は理解しておかないと、有効なワクチンの開発と集団免疫の獲得に更なる時間を要する現状では、感染拡大を抑止することは出来ないでしょう(クイズ:以下の「大阪モデル」の公式発表資料に興味深い点があります。行政関係者の皆さんは挑戦してみて下さい(笑))。

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【出典】大阪府新型コロナウイルス対策本部令和2年5月5日発表資料

あと、「今月中旬に国で検討される判断基準を踏まえて最終決定」と大阪府が発表時に示していますが、実際に、大阪府民を巻き込んで、スタートしている基準を変更することは事実上不可能だと思いますし、政府の発表がいつになるか分かりませんが、その時には、7日間連続が達成されているかも知れません。

トランプにとっての「なんて日だ!」(笑)

我々の耳目が「新型コロナウイルス感染症」(以下、「新型コロナ」)に集まる最中、先月20日ニューヨーク商業取引所のウエスト・テキサス・インターミディエート(=WTI)の5月渡しの先物価格が、1バレルマイナス37.63ドルの終値となり、史上初めてマイナスの価格を付けました(要因は、需給のアンバランスと保管量の限界です)。

 

例え話として「そんなもん、タダでもいらねぇ〜」などと言いますが、5月渡しの先物相場とはいえ、まさか原油がタダの上に、1バレルに付き約4,000円も貰えるなんて、「空前絶後」(サンシャイン池崎)の状態であることは、間違いありません。米国大統領のトランプのコメントは知りませんが、恐らく「なんて日だ!」(小峠英二(バイきんぐ))と言ったのではないかと想像します(笑)

 

このマイナス価格は、原油を消費の面から見た場合の「新型コロナ」の影響を受けていることは間違いありませんが、それだけではありません。当然のことながら、消費と表裏一体となっている生産の面から見ることも必要です。全世界の原油生産量は、2004年に8,000万バレル/日を超え、それ以降も「リーマンショック」の際に一時的に減少したものの、2019年には約1億バレル/日にまで増加していました。

 

その約1億バレル/日のうち、サウジアラビア王国ロシア連邦と米国が、それぞれ約1,000万強バレル/日を生産し、3国で全世界の30〜40%を占めています。これまでは、原油を生産し過ぎると、サウジアラビアを中心とした石油輸出国機構OPEC)とロシアが協議をして、減産し、価格の安定を図ってきました。しかし、2014〜2015年辺りからシェールオイルを背景とした米国が、サウジアラビアとロシアの減産分に割って入り、市場におけるシェアを拡大させてきました。

 

イランへの経済制裁も含むこの米国のやり方に対して、「新型コロナ」以前から、サウジアラビアが反発し、生産調整を拒絶し、増産を続ける姿勢を貫いていました。政治力を背景にしながら、市場原理を最大限利用した米国のシェールオイルの生産コストは、約40ドル/バレルと言われています。一方、サウジアラビア原油生産コストは、約3ドル/バレルと言われています(ちなみにロシアは、約40ドル)。サウジアラビアは、この生産コストの低さを武器に、市場シェア奪還に挑んでいました。

 

「新型コロナ」の影響もあり、4月9日にサウジアラビアとロシアの間では、減産合意がなされましたが、その直後であってもマイナス価格を付けた訳ですので、先行きは不透明です。サウジアラビア財政均衡価格も加味すると、どこかで着地点はあるとは思いますが、米国の大統領選挙を控え、水面下での駆引きは今後も続くと思われます。

 

そういう意味では、トランプ大統領の「なんて日だ!」は、あと数回は聞ける可能性はあります(笑)

4月7日以降から始まっていると思われること

昨日の拙ブログにて「9月入学及び始業」に関する問題点を取り上げました。それはそれとして、政府内では「9月入学及び始業」に向けての検討が始められる訳ですので、準備を進めなければなりません。と言いますか、責任ある立場にある方々は、自らの考えを早急にまとめる必要があります(その目的などについては、別の機会に譲ります)。

 

現時点(5月1日)では、延長が前提となっているようですが、5月6日までの新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」の期限とそれ以降の状況をシュミレートし、補正予算などの必要な施策を講じなければなりません(この件についても、本来は「緊急事態宣言」が発令された4月7日の直後から考えなければならない事項であり、約1ヶ月の猶予期間がありました)。

 

確かに「10万円給付」などを円滑に実施することは重要なことです(「水道料金の基本料金の減免」については、個人だけでなく、事業所にも恩恵があることだけは認めますが、期間と規模の点で施策効果はやや疑問視しています)が、「手洗い、うがい」の励行の呼びかけ以外にもやるべきことはたくさんあります。

 

「緊急事態宣言」が解除されたらどうなるのでしょうか?

例えば、学校が再開されると、いつの段階からの学習が始められるのでしょうか?

形式的には、令和元年度の教育課程は修了したこととなっているのでしょうが、多くの地域で休校措置の取られた令和2年3月の教育課程の取り扱いはどうするのでしょうか?(私個人としては、3月時点での休校措置はしていませんので、結果的にそういう懸念は生じませんが・・・)

 

以上のこと一つ取りましても、「9月入学及び始業」に向けて、6月から7月にかけての1ヶ月間ぐらいは前年度の履修の補習をしなければならない可能性もあります。また、「新型コロナウイルス感染症」の影響は地域によって異なることや学校給食の有無の調整などのために、しばらくは午前中だけの授業を余儀なくされることも考えられますから、1ヶ月から2ヶ月弱は必要かも知れません。

 

さらに、これは9月以降とも関わりますが、「3密」を回避するためには、一人当たりの学習空間を拡大させなければならず、学校敷地の余剰地にプレハブなどの仮校舎を建設する必要もあるでしょう。以上はあくまでも一例に過ぎませんが、これらのことは4月7日以降において、組織内で協議が進められているべき問題です。実際に仮校舎を建設するかどうかは、政府の方針によって変化するかも知れませんが、機動性を確保するためには、補正予算を組み、事前に予算を可決しておくことも必要かも知れません。さらに、仮校舎建設には、建築確認申請が必要となりますが、今回のような緊急性を有しかつ実施主体が地方自治体であれば、事後審査も認めるように、都道府県などに要望しておくことも考えられます。

 

他にも、教育に関しては、まずは少なくとも中学生だけは、在宅授業の環境を整えて、午前と午後で学年や学級をズラして登校させ、教室のスペースを有効活用することも想定出来ます。そうすれば、在宅授業の経費は必要となりますが、中学校の仮設校舎は不要となります。こういったことを考えることは、2月下旬からスタートしていなければならないことは、言うまでもありません。

「9月入学及び始業」の実施には2点の問題がある

昨日29日の衆議院予算委員会の場で、首相が「9月入学及び始業」に関して、「大きな変化がある中において、前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と答弁し、さらに、文部科学相も「社会全体の問題として広く国民の間で認識が共有できるのであれば、大きな選択肢の一つだ」と発言し、「9月入学及び始業」は大きな進展をみせようとしています。

 

本件に関して、私は極めて慎重な立場をとっています。確かに「新型コロナウイルス感染症」(以下、「新型コロナ」)の影響を鑑みますと、「9月入学及び始業」は現実的手段としては有効であるかに見えます。

 

しかし、問題は2点あると私は考えています。

1点目は、現実論としての問題です。「9月入学及び始業」を決断し、実行に移したとして、果たして9月以降、学校が支障なく運営出来るのかということです。私は、今回の「新型コロナ」が大きな社会問題となりつつある時に、拙ブログで「終始の未確定」をよくよく考慮しなければならない旨の考えを示しました。まさしく、「9月入学及び始業」の問題も同様で、先行きに何の保証もないですし、「9月入学及び始業」によって「新型コロナ」が消え失せる訳ではありません(一部では、「9月入学及び始業」することで、問題が解決するような本末転倒の議論が見られるのは、滑稽です(笑))。

2点目は、極めて微妙かつ社会思想的問題です。それは「稲作と桜」です。私は、「日本の伝統と文化」を殊更に主張する立場ではありませんが、しかしながら、日本にとってのまさしく「象徴」的な「稲作と桜」の問題を、易々と乗り越えることがあって良いとは思えません。

 

ここでは、問題提起をするに留めますが、機能と哲学の両面から根本的な問題を含んでいることは意識的にならないといけないでしょう。

家計へキャッシュを!

またまた特別定額給付金(=「10万円給付」)の話で恐縮ですが、お付き合い下さい。

 

日本政府が、国民に「10万円給付」事業を実施すると決める以前に、米国では、国民一人当たり1,200ドル、日本円で約13万円(所得制限有り、17歳未満は500ドル)の給付が決定され、実施されています。給付金以外にも、様々な緊急経済対策(例えば、休業要請支援金や雇用調整助成金など)がありますので、欧州などを含めて各国の支援策の比較をする場合には、それらを総合的に判断すべきです。

 

ここで、興味深いのは、日米の政府レベルの給付金を比較した場合、17歳以上の成人を比較すると、1ドル=110円とした場合(以下も同様)、約3万円の違いがあることです。ただ、米国の場合は所得制限がありますので、この約3万円は制度設計の考え方の違いが反映されたものと指摘出来ます。一方で、日本は17歳未満にも一律10万円を支給することは、米国の55,000円とは大きく異なっています。米国より日本の方が手厚い15歳以下については、児童手当に1万円が加算されることとなり、日本の方が二重の意味で、手厚い部分があります。だからと言って、「日本の方が優遇されている!」などと言いたのではありません。先ほども述べたように、施策は全体的かつ総合的に見なければなりません。

 

それぞれにお国事情があり、何を優先するかが、存在しているということです。前回の拙ブログで、家計分野のバランスシートの拡大に注目することを指摘しましたが、その後、自分なりに頭の体操をしていましたら、面白いデータを見つけました。

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日本銀行調査統計局(2019)「資金循環の日米欧比較」

巷間、日本の金融資産は貯蓄が多く、株式や債権などいわゆる金融商品は敬遠される傾向にあると言われます。以上のデータを見ますと、「現金・預金」において、日本は53.3%、米国は12.9%と大きな差が生じており、ある一面では事実です。ただ、実質の金額に換算し直すと、日本は1,835兆円の53.3%ですから978兆円、米国は9,779兆円の12.9%ですから1,261兆円となり、百分率と金額ベースで比べると、その差は為替変動などもあることから、然程大きくは感じない数字となります。

 

日米の元々の家計規模は5倍の違いはあるものの、今回の危機的状況においては、同規模の支援をしたということも可能ですし、たまたまかもしれませんが、キャッシュという面において、家計のバランスシートを同規模程度に拡大させる支援策を講じたのではないかということです。

 

繰り返しになりますが、今回の「新型コロナ」において、収束時期は未だ不透明ですので、観光支援や公共投資による財政出動などはもう少し後の施策であり、スピード感を持った短期的な財政出動は、家計全体のバランスシートを大きくするキャッシュによる支援が現時点で必要な施策です。やや遅きに失している地方自治体も散見されますが、隣接市町村の単なる真似事やキャッチフレーズ先行ではなく、事業構築にあたっては、目的や優先順位を明確にするべきです。

「福沢諭吉」は同じではない

昨日27日(月)に、政府は、いわゆる「10万円給付金」などの緊急経済対策を含む令和2年度の補正予算を国会に提出しました。その主な内容については、政府や与党内での議論においてほぼ明らかになっていましたので、早ければおよそ2週間前から、遅くとも閣議決定がなされた21日(火)以降のおよ1週間前から、「一般的な」地方自治体は、国の施策との関連を加味しながら、自らの判断において、各施策の洗い出しをすることになります。

 

今回の「新型コロナウイルス感染症」(=「新型コロナ」)対策においては、医療や介護現場の崩壊の回避、一般住民の行動の抑制(各学校などの休校措置や事業者への休業要請を含む)、必要最低限の生活の支援などが、行政が関わる重要なポイントです。加えて、時々刻々と変化する事態に対応するスピード感が求められます。

 

そういう観点からいくと、「10万円給付」は国会レベルにおいてもスピード感が求められたが故に、制度設計を含めて、最終的な決定がなされました。確かに、この「10万円給付」は全ての国民にとってスピード感が求められる訳ではありませんが、「新型コロナ」の影響で収入が激減もしくは皆無となった人にとっては、スピード感は不可欠、と言いますか、文字通り生命線です。つまり、金額は同じ10万円でも人それぞれに価値が異なるということです。

 

それさえ踏まえていれば、ほぼ確定的となった「10万円」を1日でも早く手元に渡す算段を考えるのは当たり前です。一部の市町村では始めているようですが、遅くとも補正予算が成立した直後(私は今からでも社会福祉協議会と議論をして、生活福祉貸付制度を活用すればすぐに出来ると思っていますが)には、生活資金に逼迫した人に10万円を無利子で貸し付ければ良いだけです。

 

さらに、今、考えなければならないのは、政府や行政のキャッシュを、家計側のキャッシュショートしている(もしくはしかかっている)部分に流し込み、一時的にせよ家計側のバランスシートを拡大させることです。そのことが、社会全体を下支えすることになります。

 

先に触れたスピード感もそうですが、平時の1万円と有事の1万円の価値は異なることが理解出来ていれば、平時になんでもかんでも「無料」「値下げ」と甘言を弄することは、危機管理の観点から避けなければならないことは自明です。ただ、今となっては、"It is no use crying over spilt milk." なのでしょうが・・・(笑)