石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「ジュバ・クライシス」

普段から目を通している雑誌の中で最も楽しみにしている連載の一つに、伊集院静の「文学に美はありや」(『文藝春秋』)がある。ちなみに伊集院と聞くと夏目雅子がまず浮かび、次に近藤真彦篠ひろ子と連想し、伊集院とは関係のない、中山美穂木村一八まで繋がってしまうのは、大阪万博前後生まれの性というものであろうか(笑)

閑話休題。その「文学に美はありや」が「ほぼ最終回」を迎えるという(なぜ「ほぼ」なのかは分からない)。

王羲之に始まり、数々の書の大家や途中では西田幾多郎鈴木大拙なども登場した。楽しみにしていた連載の終了に一抹の寂しさは残るが、最後に取り上げた字というか、人物に、伊集院のギミックと潔さを感ずる事ができ、連載当初から最終回で取り上げる題材は決まっていたのではないかと勘繰りたくなるぐらいの見事な始末の付け方であった。

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こちらは連載ではないが、麻生幾の「南スーダン自衛隊を襲ったクライシス 『駆けつけ警護』の最前線レポート」も読み応えがあった。およそ30年の内戦を経て、2011年7月にスーダン共和国から独立をした南スーダン共和国は、2013年12月に政府軍(=キール大統領の影響下にあるディンカ族の兵士で構成)と反主流派軍(=当時のマシャル第一副大統領の影響下にあるヌエル族の兵士で構成)との間で武力衝突が起こり、内戦状態に陥った(キール派とマシャル派のそれぞれの内部分裂も存在する見方もある)。

2016年6月16日に南スーダンの首都であるジュバで発生した「ジュバ・クライシス」は、自衛隊の第10次南スーダン派遣隊が着任した三日後に発生した。政府軍兵士が、反主流派軍を銃撃したのを皮切りに、同19日、7月2日にも銃撃があり、反主流派軍に死者が出た。7月7日には、政府軍の5名の死者を含む両軍で10名以上の死傷者が出た上に、ユネスコ職員も負傷し、米国大使専用車も被弾した。続く8日以降は、大統領官邸前、国際連合南スーダン共和国ミッション(=UNMISS、通称アンミス)本部など市内一帯で銃撃戦が起こり、10日には、中国人兵士2名が流れ弾に当たって死亡、3,000人以上の避難民がUNハウス(=アンミス本部などUN関連施設がある地域)に押し掛けるなど大混乱となった。

自衛隊の宿営地のあるトンピン地区も例外ではなく、同地区内のルワンダ隊の宿営地には3発の迫撃弾が着弾、隊員や受け入れた避難民など5名が負傷した。当然、自衛隊の宿営地も被害があった。この衝突の中、10日から11日の間で、自衛隊は3度、コンテナ型のシェルターに避難しつつも、宿営地に押し寄せた避難民のために、居住用の天幕を張るなど一時的な市民保護ゾーンを設営した。

この行動力は、訓練の賜物であり、アンミス関係者もその迅速な対応に驚いたようであるが、小生としては、改めて南スーダンの厳しい環境を思い知り、当該地域に自衛隊を送り出している政治家をはじめとする国民は「ジュバ・クライシス」をしっかりと認識しなければならないと強く感じた。このことは、自衛隊PKO派遣の意義などを議論することに加えて、南スーダン国民に対しては大変心苦しいことだが、内戦状態を想像することを通じて国家の在り様を議論したり、自らは平和を享受しながらつまり安全地帯に居ながら、声高に「正義」(万民に受容可能な「正義」が存在すればの話だが)というものを振りかざすことへの逡巡に繋がらなければならないだろう。

「ジュバ・クライシス」以外にも、たとえ、現地のアンミスから緊急の案件を要請されたとしても自衛隊が国内法を遵守して行動していることや、「駆けつけ警護」が課せられたことでアンミスや他国の部隊、現地のNGOなどから過剰な期待を寄せられていること、PKO活動を取り巻く環境が変化していることなど、有意義な論点を含んでいる論稿であった。

しかしながら、「国際社会からのPKOへの要求は待ったなし、である。そして、PKOは、日本の海外での経済戦略とも大いに関係している」という記述は気になった。リアルポリティクスを多少でも理解しているつもりの小生は「経済活動とPKOを含む国際貢献が全く別物だ!」と申し上げるつもりはないが、大変厳しい任務を命がけで果たそうとしている自衛隊及び自衛隊員に思いを馳せる時、直接的な表現を用いて、経済戦略とPKOを結び付けることにかなりの抵抗を感じる。かつて居留民の保護や内紛の鎮静化を名目に国外に兵を進め、戦禍を拡大させた歴史を鑑みるとき、経済と軍事力の関係性を厳格に考える姿勢を持たなければ、国家の道を誤ると感ずるのは、小生が無邪気すぎるからであろうか。