石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

四要件から三原則へ

本日2月22日は、「2」を「ニャー」と呼んで、「ニャー、ニャー、ニャー」で猫の日だそうです。最近は、猫好きが一つのファッションというか、アイコンのように用いられているので、そういう時代の流れからいくと、今日は特別な日なのかもしれません。

3年前から発刊が開始された『昭和天皇実録』を定期購入しており、時間がある際にパラパラとめくっている。読み方としては、時代を追って読んでいくのではなく、まさに気の向くままに行き当たりばったりで読んでいる。

イメージ 1

過日、気の向くままの中にも、別のこと(戦後すぐに昭和天皇が九州地方のキリスト教の布教状況を調査させたという記述を、原武史がある書評で言及していたこと)を確かめたくて、昭和21年を読み始めた。

昭和21年2月22日(金)の午後 に、内閣総理大臣幣原喜重郎から憲法改正についての奏上を受けられた。この奏上において、先に松本烝治が提出した「憲法改正要綱」を聯合国最高司令部が受け入れられないとし、聯合国最高司令部作成の憲法草案が初めて昭和天皇の御手許に提出された。

その憲法草案において、聯合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが示した三原則は、
一、天皇は、国の元首の地位にある。
  皇位の継承は、世襲である。
  天皇の義務および権能は、憲法に基き行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う。
二、国家の主権的権利としての戦争を廃止する。日本は、国家の紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも、放棄する。以上のことは世界の防衛と保護につき、今や世界を動かしつゝある崇高な理想に依存するものである。
  いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。
三、日本の封建制度は、廃止される。
  皇族を除き華族の権利は、現在生存する者一代以上におよばない。
  華族の特権は、爾後このような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。
  予算の型は、英国制度を倣うこと。
                     (以上、『昭和天皇実録 第十』(2017、東京書籍)PP47-48)

先の昭和21年1月7日(月)の午後に、昭和天皇は、松本烝治自身から「憲法改正私案」の奏上を受けており、そこにある憲法改正上の四要件は、
第一に、天皇統治権を総攬するという大原則を変更する必要はないこと
第二に、議会の決議を必要とする事項を拡充し、これに伴い従来の大権事項を制限すること
第三に、国務大臣の責任が国政全般にわたり、同時に議会に対しても責任を持つこと、国務大臣以外の者が国務に介在出来ないようにすること
第四に、人民の自由・権利に対する保護・確保を強化すること
であった。
                     (以上、『昭和天皇実録 第十』(2017、東京書籍)PP10)

それまでに松本私案及び松本による「憲法改正要綱」は、2月12日に侍従次長の木下道雄から内容を聞いており、概略を知っておられた。一方で、聯合国最高司令部と政府関係者が協議をしていることから、非公式に昭和天皇に様々な状況が伝わってはいたと推測されるが、2月22日の奏上は、公式に昭和天皇憲法改正の骨子が示され、それが聯合国最高司令部(というか、マッカーサー)の意図が色濃く反映しているものであり、1月7日の奏上からわずか45日程度での大きな要件(原則)の変更は青天の霹靂であられただろう。

大戦直後のこの時期、憲法改正をめぐっては、昭和天皇は、皇族および華族の取り扱いにも留意されていたり、当然のことながら憲法は日本の将来の礎となるものであるため、議論の行く末を案じておられたと思われる。その中で、松本の四要件が大きく覆され、マッカーサー三原則が示されたことは、衝撃的なことだったであろう。

一方で、奏上をしなければならなかった幣原や聯合国司令部と折衝していた松本や吉田茂などの関係者にとって、最も緊迫した日であったであろうし、そういう観点からは、2月22日は、大戦直後の憲法改正にとって記憶されるべき日の一つと言えるだろう。