石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『命をつなげ』

昨年末に 国土交通省 技監である徳山日出男 さんから1冊の本(稲泉連(2014)『命をつなげ 東日本大震災、大動脈復旧への戦い』新潮文庫)が贈られて来ました。徳山さんはこのブログにも何度も登場していますが、ご承知の通り、東日本大震災の発災時の国土交通省東北地方整備局長であり、くしの歯作戦 の陣頭指揮を執られました(その陣頭指揮をとられた経験について、三重県でもご講演 頂いたこともあります)。

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そのご縁があってのことと忖度しますが、徳山さんが、この文庫本の解説を書かれており、率直な思いを「本書を手に取ったときのことは鮮明に覚えている。私にとって初めて知る『啓開』の実際の姿だったからだ。多くの記者、ジャーナリスト、テレビクルーが被害状況や被災者を取材する中で、黙々と国道45号を啓いた無名の人々をこんなにも綿密に取材された方があったということに驚き、現場の人々の成し遂げたことに感動した」(300頁)と記されています。

この文庫本は、『命をつないだ道-東北・国道45号をゆく-』(2012)の改題であり、小生も月刊誌である「新潮45」の連載を読んでいましたが、今回再読してみて改めて感動を覚えました。

徳山さんも解説しているように、発災直後からの道路啓開は、大津波警報が発令される中での作業であり、万が一余震による津波が再発した場合に、作業に当たっている職員や土木業者の命が危険にさられることから、その責任を誰が取るのかとなると、日常生活で口にされている責任とは全く次元の異なるものであり、本質的に責任が取れるものではないことは明らかでした。

この責任については、国道45号を管理する国土交通省宮古維持出張所長の鈴木之さんとその維持管理業者の上野裕矢さん(刈屋建設株式会社)のやり取りに端的に表れています(60-61頁)。

上野:「でも鈴木さん、作業をしろと私からは言えません。何かあっても私には責任が取れないです」
鈴木:「それは俺も同じです。この作業をいまやれと指示はできない。やれ、と言うことはできないんです。ただ、これから被害を大きくしないためには、誰かがやらなきゃいけない。だから、一緒にやってくれないか」
上野:「作業員の人たちと話をしてみます」

行政職員としてだけでなく、一人間として道義的にやらなければならない眼前の仕事と作業に当たる際の危険との葛藤に苦しみながら、鈴木さんは「俺たちは動かなければならないけれど、この作業は命令できるような種類のものではない」(57頁)と、責任について考えを巡らせていました。

この際の鈴木さんの葛藤や逡巡は小生の心に深い感銘を与えました。また、命の危険に及ぶ過酷な環境で作業を行う者への配慮はもちろんですが、それを踏まえた上でもなおその作業を着手する命令をしなければならない、その危険な場所へ赴かせなければならない命令権者のまた違ったレベルでの厳しさを考える機会となりました。

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「困っている人たちがいるときは、とにかく無償で手伝え。それが我々の会社の生き様だ」(114頁)と先代の会長が繰り返し口にしていた山形県長井市那須建設株式会社も国土交通省東北地方整備局の要請に応える形で、気仙沼市での復旧作業に加わりました。その一人に常務の坂野房芳さんがいました。どの被災地でも同様ですが、気仙沼での啓開も、瓦礫の下に多くの遺体があり、それを気遣いながらの作業でした。作業に従事した坂野さんは「泣いてね人はいながったな。……そりゃあ、人間だから泣くしかねえよ」(124頁)と振り返り、「これはもう仕事ではねえ、人としてやんなきゃなんねえことなんだ」(127頁)という感情を抱き、作業に没頭しました。

このような状況下で作業に従事した皆さんのご尽力を、的確に表現する言葉を持ち合わせていないですし、小生に表現する権利があるとも思われないので、引用に留めたいと思いますが、「人としてやんなきゃなんねえことなんだ」という言葉は、責任とも義務とも違うそれ以上の観念を言い表していると感じました。

また、中小規模の建設会社である南三陸町にある株式会社山健重機の社長である山内健一さんの「公共事業がどうした。何かあれば俺が責任をとって、また個人の仕事から始めればいいんだ」(180頁)という言葉も忘れることが出来ません。いかに災害復旧であれ、道路管理者である行政の指示なしに、独断で手をつけることは明白なルール違反であり、後日、その責任を問われることになるかも知れない状況で、自らの信念に従って動くことの意味は相当なものです。

さらに、「こういう非常時に、手をかけるも何もないんですよ。地元の人たちが助けてほしい、って言ってるでしょう。それで何もしなかったら嘘だ。我々の業界はこれまで悪いイメージしかながった。やれ談合だ、やれ裏でどうした、とマスコミも地域の人たちも、ろくなことしないで金を取っている連中だと思って見ていたかもしれない。だからこそ、みんなに必要とされているときに、俺たちがやらないでどうするのか。役所からの指示がないからできない、なんて言うつもりは全くながったよ」(180頁)という言葉は、深い意味を有していると感じました。

他にも、あの震災に果敢に立ち向かった、徳山さん曰く「無名の戦士たち」(303頁)が多く登場しています。一度、手にとってご覧頂きたいと思います。