石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「伽羅先代萩」


この伽羅先代萩は、物語そのものは、脚色してあるため、時代を鎌倉時代の足利家に設定しているが、実際には、1600年代中葉に起こった伊達騒動を題材とした浄瑠璃や歌舞伎の演目である。

夜遊びが過ぎた殿様を引退させ、幼少の嫡子を殿様に据えたものの、藩内部の対立が収まらず、その幼少の殿様を毒殺しようとする事件が起こるなど、権力闘争が激化し、最終的には複数の関係者が斬り合う顛末となった。政治や経営の手腕が問われるのではなく、スキャンダルをきっかけとして、権力闘争をするという、いわばお家騒動の典型とも言える事件であるが、それだけでは物語としては面白くないというか、テーマ性がなく、歌舞伎や浄瑠璃という興行には向かない。

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                   歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人」のHPより

今回放送された伽羅先代萩の肝は「御殿」の場面である。お家を継いだ鶴千代は、乳兄弟の千松とともに、乳母である政岡に育てられる。お家乗っ取りを描いている仁木弾正(実際には原田甲斐)が、様々な手を使って鶴千代の命を狙っているため、食事もままならない日々が続いていた。そんな中、仁木と結託している老中の妻栄御前が、毒入り菓子を持参して、鶴千代のお見舞いにやってきた。さすがの政岡も位の高い栄御前の差し出した菓子を拒む訳にいかず、いよいよ鶴千代が追い込まれた時に、政岡の子である千松が、その毒入り菓子を食べ、もがき苦しみ始める。しかし、その場にいた仁木の妹である八汐が、その殺害意図が露見しないために、鶴千代の菓子を横取りした不忠の廉で、実母である政岡の目前にて、千松をなぶり殺しにした。

政敵の企てにより、実子を目の前で殺されたにも関わらず、政岡は、その場では取り乱すことなく、鶴千代を守り通した。ここに見られる政岡と千松親子の忠義が、聴衆の心を動かし、興行を興行として成立させている。今回で言えば、政岡を演じた坂東玉三郎の所作は見どころであり、ニンに合っていた。ニンと言えば、敵役の頭目である仁木を演じていた中村吉右衛門の妖艶さもニンであった。ちなみに、仁木の左こめかみ辺りにほくろがあるのは、当たり役であった五代目松本幸四郎を称えてのことである。

この場面を浄瑠璃素人講釈(下)』(杉山其日庵(2004)岩波文庫では、「政岡忠義の段」として取り上げていた。
特に、注目していたのは、政岡が千松に「コレ千松、常々母が云いし事、必ず必ず忘れまいぞや・・・サ早ふ、早ふ」のセリフで、亀千代に一大事の際には、自らの命を投げ打って、殿の命を守り通すことが、乳兄弟の役目であることを意味している。杉山其日庵(本名は杉山茂丸)は、このセリフをきちんと言えることが、太夫としての修業の評価の基準と指摘していた。

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録画を見ている際に、仁木弾正という名前と最近どこかで接したが「はて、どこだったか?」と逡巡した。なかなか思い出すことが出来なかったが、この3月に発刊された山本周五郎で生きる悦びを知る』(福田和也(2016)PHP新書に取り上げられていることを思い付き、再読してみた。

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NHKの大河ドラマの原作となった『樅ノ木は残った』では、この仁木つまり原田甲斐は、名臣として描かれている。山本周五郎は、伽羅先代萩では悪役として描かれる原田を、尋常小学校卒業後丁稚奉公時代から「原田甲斐はけっして悪人ではないんだよ、ぼくは将来、かならず伊達騒動原田甲斐を書くぞ」と何度も語っていた通り、権謀術数が渦巻く権力闘争の中でも、決して他に己の考えを悟られることなく、家を守り抜くために、力を尽くす臣下として描いた。貧しい幼少時代を過ごし、小説家として身を立てて以後も、執筆前には、前借りした原稿料をすべて料亭などで蕩尽し、退路を断ってから小説を書き続けた山本の生き様に裏打ちされた原田像は、それはそれとして興味深かった。