石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

浅野選手のメンタリティー

浅野拓磨は、プロサッカー選手として、6年目のシーズンに入っている。

しかし、小生は、9年目のシーズンだと思っている。なぜなら、浅野は高校進学時に人生の大きな岐路に立ち、色々な人たちと話し合い、家族など周囲の大切な人たちのことを思いやり、悩んだ末(「四中工に行ってしまったら、プロの道をめざすしかない。自分のわがままで家族に三年間も迷惑をかけて、プロになれなかったらどうしよう・・・」(PP30))に、プロ選手への道を切り拓いたからである。

「三年間だけ親に我慢してもらって、三年後から恩を返せばいい」(PP30)という中学校時代のサッカー部の顧問であった内田先生の言葉によって、浅野は覚悟を決めた。そして、自身が「あれ以来、サッカー選手としての自信を失ったことはありません」(PP31)ときっぱり言い切っているように、この覚悟によって、高校生でありながら、プロ選手に「なりたい」のではなく、「ならなければならない」という状況に身を置いた。故に、意識としてはプロ選手として過ごしたのだと確信している。

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世界のクラブチームで通用するためには、技術だけでなく、いやそれ以上に強いメンタリティーが不可欠である。このことは、浅野だけでなく、また、サッカーだけに限らず、勝負の世界に身を置いた人であれば、即座に理解出来ることであろう。実際に、浅野自身も、先月まで所属していたシュトゥットガルトの監督のハネス・ヴォルフとの関係において、メンタリティーの重要性を再認識した(PP 33、PP122)。

そのメンタリティーに関して、サンフレッチェ広島時代に佐藤寿人が浅野に投げかけた「ムリだろ」について言及している(PP36)。浅野は、佐藤のことを初めて一緒に練習した時から世界一のエゴイストと感じていたが、ある時、走りながらのトリッキーな連携プレーを仕掛けた際に、佐藤が「ムリだろ!」と言ったことに、心中、「え!?プロでもムリっていうんや!」と思うと同時に、ストライカーとしてのエゴイズムを感じ、シビれたと述べている。

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浅野は、メンタリティーと絡めて、さり気なくこのエピソードを取り上げているが、この中に、浅野が本気で世界で通用するプロ選手になろうと考えている心意気を感じ取った。浅野は、佐藤のように自分の想定外のプレーに対して、「ムリ」とは言えず相手に合わせてしまう。その上、その時々のプレーに自らの考えを相手に伝えることすら無く、遠慮してしまうことが多いと述べている。そういう「遠慮深い」浅野が、メンタリティーを強くするために、世界一のエゴイストだと評している佐藤のやり方を目指すのかと思いきや、「ムリ」と言う佐藤に尊敬の念を抱いているものの、それを目指してはいない。

ここに世界一のエゴイストではなく、世界一のストライカーを目指す浅野の決意もしくは自信が滲み出ている。

メンタリティーの強い世界一のエゴイストを目指すなら、自分のプレースタイルや考え方と異なったプレーに対して「ムリ」と言っていればいい。しかしそうなると、結果的に、組織的なプレーの多様性を喪失してしまったり、自分のプレースタイルの可能性を無意識のうちに限定してしまうことに繋がるのではないかと、浅野は考えたのだと思う。浅野はより高みを目指すために、メンタリティーの強さを象徴するエゴイスト的要素を受け入れつつ、自分自身が理想とするプレースタイルを堅持し、周囲との関係性の中でプレーの可能性を最大限に拡げる道を選んだのではないだろうか。このことは、幼少期から自分の置かれた環境を受容しながらも、何事(勉強は除外されると思う(笑))に対しても諦めずに100%のエネルギーで行動(PP151)して来た浅野だけが行き着いた境地である。それは、自他の長所短所を徹底的に考え抜き、自己及び自己の感情や他者との関係を極限まで相対化する試みでもある。

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浅野が感謝して止まない両親から与えられた並々ならぬ身体能力をフルに引き出すために極限まで考え抜いた「走り」で世界の大舞台で活躍し、我々を驚かせてくれることを期待しているし、そうなった時に本著の「説得力」(PP193-195)がさらに増すだろう。

Ich bin von deinem Erfolg überzeugt !