石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

マニフェストに思う

昨日、本日と終日庁舎内で会議をしております。

来年度の予算査定および第4次菰野町総合計画後期基本計画第4次推進計画の策定作業をしております。こういった会議を行っていると、町政課題が山積していることを実感します。現実の問題としてとらえて、中身を吟味し、優先課題の順位付けを行っていく作業は、粘り強い思考力と強い意志が求められます。緊張感を持って取り組んで参りたいと思います。

昨日の夕方から町外にて、研究会に参加しました。
道州制」がテーマだったのですが、参加者の立場によってそれぞれのとらえ方があり、非常に面白い時間でした。小生は市町村の役割や道州制に至るまでの職員や組織のスキルアップや住民の立場での意識形成などを主に論点としてお話しました。他の参加者の方は「地域格差」に関わる産業振興の話や行政とは違った地域課題などについてのお話をされていました。

最近、三重県前知事である北川さんが中心となって「せんたく」という政策集団を旗揚げされました。それについての評価はこれからだと思いますが、それを見ていて、マニフェストについて考えさせられました。
最近の傾向として選挙にマニフェストは必須だという感覚が広がっていますが、仮にマニフェストが万能であれば、様々な団体(政策集団と呼ばれるものかもしれませんが)がマニフェストを作製し、それを競えば事足りるということになりはしないか?と感じています。また、それで本当に政治家の役割を果たすことができるのか?という印象を持っています。

つまり、立候補する人間が重要ではなくなり、一番得票の多かったマニフェストを実現すればよくなり、それなら、役場の職員のみが存在し、マニフェストを淡々と実行していけばよいことになります。
しかし、現実はそんなに甘いものではなく、刻々と変化する事態に果敢に取り組み、マニフェストに書ききれない(書ききれる訳もありませんが)膨大な課題を解決していかなけばならないことは言うまでもありません。

政党間のマニフェストはそれなりの意義はあるかと思いますが、首長のマニフェストというのは、重要ではあるけれども、それだけで完結するものではないと思います。有権者が選ぶ基準としましては、その人となりや変化に富んだ現実社会での判断基準などを考慮にするのだと思います。そういうことの根拠が「顔を見て判断する」というものなんだろと勝手に想像しています。

今日も終日会議だったのですが、11:30に地元の老人会の初集会でご挨拶を致しました。

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今日は朝は雪が降り、大変寒い日でしたが、50名を超える皆さんがお集まりになり、お元気な姿を拝見致しました。