菰野藩由来の建造物
4日(月)は基本的に終日協議。
午後に地元の区長さんをはじめとする方々が来庁されました。
1600年に立藩された菰野藩が明治時代に入って建築した城郭である「角櫓」の保存・再建についての署名を持参されました。
菰野藩は1万2千石の小藩であったため陣屋構えであり、天守閣はもちろん角櫓・濠・石垣の築造も許されませんでしたが、この角櫓は、幕末・明治維新の混乱期に乗じて、当時の藩主の婚約が整ったことから、城下領民の手によって一致団結して建てられたものです。
明治維新の混乱に乗じたというのも面白いですが、明治期に入って建築されたというのは全国的にも珍しいそうです。
その後時代を経て、町内他所に移築されていたのですが、それが老朽化し危険となったために取り壊されることとなったために、地域の皆さんが保存・再建の活動をされました。
その場でも意見交換をさせて頂いたのですが、解決すべき課題が多くあることも事実ですので、すぐさま再建という訳にはいかない旨をお伝えいたしました。
1600年に立藩された菰野藩が明治時代に入って建築した城郭である「角櫓」の保存・再建についての署名を持参されました。
菰野藩は1万2千石の小藩であったため陣屋構えであり、天守閣はもちろん角櫓・濠・石垣の築造も許されませんでしたが、この角櫓は、幕末・明治維新の混乱期に乗じて、当時の藩主の婚約が整ったことから、城下領民の手によって一致団結して建てられたものです。
明治維新の混乱に乗じたというのも面白いですが、明治期に入って建築されたというのは全国的にも珍しいそうです。
その後時代を経て、町内他所に移築されていたのですが、それが老朽化し危険となったために取り壊されることとなったために、地域の皆さんが保存・再建の活動をされました。
その場でも意見交換をさせて頂いたのですが、解決すべき課題が多くあることも事実ですので、すぐさま再建という訳にはいかない旨をお伝えいたしました。
5日(火)は朝から協議や会議。
13:00から三泗鈴亀農業共済組合の打合せ。
15:30から町外で面会。
18:30過ぎに帰庁し、事務決裁など。
今から大阪で開催される観光メディア交流会に参加の予定。