石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

降りも湧きもしない

今週は、出張が相次ぎ慌しい日々でした。

スケジュール的な過密さは普段とさほど変わりませんので、小生が慌しいと感じたのは、国政レベルの政局状況がメディアなどで大きく取り扱われていることに起因しているのかもしれません。これはあくまでも個人的な見解ですが、一連の政治的状況については、今ひとつ本質論に欠けるような印象を持っています。幕藩体制明治維新などを引き合いにして、「中央集権」「官僚主導」の対極として「地方分権」「政治主導」が大きく取り上げられ、言葉が一人歩きしていますが、議論の深まりが今ひとつのような気がします。

また、国、都道府県(道州を想定されている論者もいます)、市町村の役割分担の明確化なども指摘されていますが、竹を割ったように、この部分は国、この部分は都道府県、この部分は市町村などと役割分担ができるのかいささかの疑問があります。
国は、外交、防衛、環境やエネルギーなどの役割を担えばいいという議論がありますが、外交も防衛も環境もエネルギーも我々の生活に密接な関わりを持っています(生活上不可欠なライフラインや給与などの所得にも影響を及ぼしています)。それらの問題は、一見、国という「想像の共同体」が我々の生活とかけ離れた場所で行っていると思いがちですが、そうではなく、我々の生活の積み上げや延長線上に成立している、もしくは必然的に相互関連を有していると考えなければならないと思います。

さらに、「国と地方」といった場合の「地方」には、都道府県と市町村が同列で取り扱われているということに注意を払う必要があります。どう考えても、都道府県と市町村は権限も役割も違います。また住民との距離といいますか、責任のあり方も違います。同じ都道府県でも、神奈川県、愛知県や大阪府のように、政令指定都市を抱えている都道府県とそうでない都道府県では状況は全く異なります。同様に、市町村と言いましても、横浜市菰野町を比べなくとも、四日市市菰野町でもそのあり方は異なっています。そこを踏まえずに、単純に「国と地方」の構図で問題をとらえることに、小生は違和感を覚えます。

いずれに致しましてもこれから「国と地方」の議論は熱を帯びてくると思いますが、どっかからより良い制度が降って湧いてくる訳ではありません ので、我々国民一人ひとりが自分のこととして問題をとらえなければならないと言えるでしょう。

過日、菰野町消防署において、消防救助技術指導会署内予選会・激励会が開催されました。

イメージ 1

イメージ 2


ロープブリッジ渡過とほふく救出の競技が実施されました。
消防救助技術の向上と署員の意識高揚を目的として、毎年実施しているものですが、選考会に参加した各員は、日頃の訓練の成果を発揮していたと思います。今後、東海地区予選があり、それを突破すると全国大会に出場となります。町民の安全安心を守るためにも、頑張って欲しいと思います。

菰野町区長会研修会に同行しました。

イメージ 3


今年は、三重県の東紀州地域と和歌山県新宮市周辺において研修を実施しました。
熊野古道世界遺産に登録されて、5周年を迎えるにあたり、熊野古道センター を訪問しました。

イメージ 4


センター長の方にお話を伺いましたが、「この熊野古道を次世代に継承していくことが重要なんです!」と力強く語られていたことが印象的でした。そのために地元の中学生とともに様々な取組をしているとのことでした。