石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

エジプト軍の介入

エジプトでは、モルシ前大統領が軍に拘束され、マンスール暫定大統領が就任しました。先日からアラブ関連の著作を読み進めている小生としては、今後の動向が気になるところではあります。
今朝5日(金)の各紙(読売新聞、朝日新聞毎日新聞中日新聞日本経済新聞伊勢新聞公明新聞赤旗など)を読み比べてみました。参議院議員選挙の公示日の翌朝ということもあり、記事の取り扱いは大したことはないだろうと思っていましたが、各紙とも結構なボリュームを割いて報道していました。

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まずは、社説で取り上げていたのは、朝日新聞毎日新聞中日新聞日本経済新聞の4紙でした。いずれの論調も、エジプト軍が介入してモルシ氏を解任したことに関しては、民主主義の正統性から否定的な見解を示していますが、そのトーンは、「今回の事態はあくまでも混乱をしずめるための応急措置」(朝日新聞)や「こうした政変と政治日程は、正当性や大義に問題があると言わねばならない」(毎日新聞)のように若干の温度差はあるように感じます。ただ、最も重要視していることは、共通しており、今後の「民主化」を進めなければならないことでした(この「民主化」はあくまでも我々現代日本の目線から見た「民主化」であることに注意をする必要がありますが)。読売新聞は社説では触れていないものの、早々と緊急連載を立ち上げるなど、見方によっては他紙よりも先んじている印象を持ちました。

記事の大見出しで、「クーデター」という単語を使っているのは、読売新聞と伊勢新聞で、中日新聞は小さな見出しで「クーデター」を使っています。朝日新聞毎日新聞日本経済新聞公明新聞は、本文中では「クーデター」を用いていますが、見出しでは「クーデター」という単語は使っていない(赤旗はモルシ氏の言葉として「クーデターだ」という引用を小見出しに用いています)ところを見ると、情報が少ない状況においてなかなか断定的な報道ができない苦慮の後が伺えます(ちなみにNHKは「事実上のクーデター」と表現しています)。唯一、日本経済新聞だけが触れていますが、アメリカ合衆国オバマ大統領もクーデターを意味する「coup」を用いていません(ここにも米国の微妙な立場がにじみ出ていますが)。

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各紙とも今回のエジプト軍の介入の背景を「ムスリム同胞団 vs リベラル・世俗派」の対立構図と失業率の上昇やインフレによる経済悪化の2点に求めています。これはある面で正しいと言えますが、気になる点があります。
このことは意図的かどうかは別にして、読売新聞だけが「イスラム勢力の中で保守派の『ヌール党』も、憲法停止と大統領選の早期実施など『行程表』支持を表明」と本文中に書いていますが、ムスリム同胞団よりも激しいイスラム主義と言われる勢力も「リベラル・世俗派」と歩調を合わせていることです。

先程、小生が「民主化」をカッコ付きで用いたこととこの「ヌール党」の動きは無関係ではありません。何故なら、この「ヌール党」はサラフィー主義者と言われムスリム同胞団よりも激しいイスラム原理主義を唱えており、リベラル・世俗派で信教の自由を許している「アズハル」とは本来的には政治的な対立関係にあるからです。また、人民議会(下院)での第一党はムスリム同胞団系の「自由公正党」であることは巷間に知られていますが、第二党がよりイスラム原理主義と言われる「ヌール党」であることは見過ごされているのではないでしょうか。

さらに昨年末の時点において、これまた本来なら対立関係にあるエジプト軍とサラフィー主義者が接近していたという情報を鑑みますと、「アラブの春」からの一連の流れを単純に「民主化」と是認する訳にはいかないようです。

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未だ予断を許さない状況下ですが、これらの権力闘争やそれぞれの思惑が複雑に絡み合って行くことは間違いなさそうです。ただ、これを対岸の火事とか、「何を遅れたことを」感じられてるのであれば、逆に小生はそういう感情に違和感を覚えます。我が国も五・一五などを持ち出すまでもなくほんの80年程前までは同じようなものだと思います。世界史の中でたった80年程の違いは誤差でしかなく、それを認識できないのであれば、それは傲慢以外の何ものでもないと感じるのは小生だけでしょうか?