石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

ヘゲモニーの行方

数ヶ月前に『イギリス 繁栄のあとさき』(川北稔(2014)講談社学術文庫)が必読図書として指定された。

本書の原型となるダイヤモンド社から刊行された同名書は1995年に出版され、「バブル崩壊」による日本経済の失速と英国の衰退とを重ね合わせることを企図された著作と考えられる。当時、バブルが崩壊する以前の日本は、「Japan as number one」と持て囃され、日本自体も米国に代わるヘゲモニー国家を夢想した時期であったが、戦後の高度経済成長で得た自信が見事に打ち砕かれ、国家の羅針盤を失った時期でもあった。

イメージ 1

その後、日本はデフレ経済や東日本大震災などもあり、未だ先行き不透明な社会情勢が続いており、本書は、その状況を考える手がかりとして、20年の歳月を経て、「ごくマイナーな手直し」はありながらもほぼ同じ内容で、2014年に講談社学術文庫から再発刊された。

文庫版の趣旨は、繁栄を極めた英国が「英国病」と呼ばれる国家の衰退(あくまでのGDPなどの経済指標上の問題であり、社会制度の安定性や生活水準などの衰退を指してはいない)を参考にして、日本の「失われた20年」などと言われる経済状況や将来を展望しようとするものである。その論旨の基底となっているのは(1995年版のものも同じであるが)、I・ウォーラーステインが提唱した「世界システム論」であり、ヘゲモニーの変遷からみた国家の繁栄もしくは衰退論である。

世界システム論」におけるヘゲモニー国家は、17世紀のオランダ、19世紀の英国、20世紀の米国の3つである。先ほど、日本がヘゲモニー国家を夢想したと指摘したが、日本は、(良いか悪いかとか、独立か属国かとかいう問題は別にして)米国のシステムに組み込まれている以上ヘゲモニー国家にはなれないのは厳然たる現実というものである。そういう意味では、ヘゲモニー国家であった英国の衰退と米国のシステムに内包されている日本の衰退を比較することは、それ自体無理があるし、そもそもの矛盾だと考えられる。

イメージ 2

しかしながら、本書で以下のように定義されている資本主義の特質を考え、日本の未来を実験的に思考するという意味では参考になる書と言える。

「近代が生み出した最大の遺産は、言うまでもなく資本主義そのものである。資本主義は、それが順調に発展しなければ問題になり、発展すればしたで深刻な問題を引き起こす、やっかいな存在である」(pp,182)

簡単に言うならば、資本主義の発展により、社会全体の経済活動が活性化され、その結果、医療や公衆衛生などの社会制度が確立されたり、生活水準そのものが向上するが、発展しすぎると、そこから排除された人々に格差などの弊害も発生するという意味である。現代日本においても、「格差」の問題は克服すべき課題であるが、もっと大きな問題は人口減少と高齢社会である。小生は、もとより、資本主義経済を否定するつもりはないが、金融工学的資本主義や過度に自由主義的な資本主義を、政治がどう規制し、克服していくかの視点はより重要である。

付言であるが、本書では英国の経済成長を促す意味での「産業革命」や英国がヘゲモニー国家になるための「産業革命」はなかったとしている。少々大雑把な言い方になるが、ヘゲモニー国家であったオランダからの資本(=「オランダ資金」)を英国に集めて、フランスとの戦争に勝ったがために、結果として英国がヘゲモニー国家となり、その「オランダ資金」を活用して「産業革命」(つまり「工業化」)を起こしたのである。つまり、「産業革命」が英国を覇権国家にしたのではなく、覇権国家であったために「産業革命」が起こったのである。因果関係は的確にとらえないと道を大きく見誤ると感じた。