恩人加藤ハツさんを偲ぶ
追悼コンサートと食事会の形式で行われましたが、他の公務との関係から残念ながら、遺品の展示会のみを拝見致しました。
加藤ハツさんの最終的な肩書きは、MSS会館 吹上文化サロン 館長でした。もともと小学校の教員をされており、フランス芸術文化勲章を叙勲されているご子息の修滋さんが、1980年に「シャンソンが聴けるライブハウスを作りたい」ということで、「ともそう名古屋に文化の灯」を掲げ、退職金をつぎ込んでサロンを建設されました。
小生とは、現在ではサロンの経営に携わっているご令孫の祐滋さんの家庭教師を頼まれたことがお付き合いの始まりでしたが、研究者から政治家に転身する際には、大変ご心配をされ、ご指導を頂いたことが記憶に残っています。今回の偲ぶ会も発起人が神田真秋さん(前愛知県知事)であるように、名古屋を中心とした政界、財界、文化人などとの交流は広く、菰野町長になってからも、人脈をご紹介頂き、町政の発展にご助力を頂きました。
昨年、7月5日に病床のハツさんをお見舞いした際が、最後のお別れになりましたが、あの時にお会い出来てよかったと思っています。
ハツさんは晩年「私は踏み台でいいと思う。一人でも多くの才能が私やサロンを踏み台にして、より大きな舞台にはばたいてくれれば、こんなにうれしいことはないんです。」という言葉を残されました。なかなか言えることではありませんが、こういった言葉をはじめとして、ハツさんの色々なお話から小生も多くのことを学びました。ありがとうございました。