石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』

本日午前中に小雨の中を随分昔のアドミラルというブランドメーカーのサッカーパンツを履いてジョギングしていた際に、ある方から「もうそのアドミラルのサッカーパンツはないなぁ~」と突っ込まれました。その際に三洋電機のことが話題になりましたので、この本を取り上げてみたいと思います。

大西康之(2014)『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(日経BP)。

平成23年(2011年)3月と言えば、大多数の日本人の記憶に残っているのは東日本大震災であるが、その未曾有の大災害が発災した15日後の3月29日に 三洋電機株式会社上場廃止になった。三洋電機は、昭和28年(1953年)に日本で初めて噴流式の電気洗濯機を発売し、大宅壮一に電化元年と言わしめた日本社会の家電化の流れをつくった言わずと知れた日本を代表とする家電メーカーである。上場廃止までの数年間は紆余曲折の道を辿るが、太陽光や車載電池、住宅関連事業は、パナソニックに売却され、冷蔵庫や洗濯機の部門は中国のメーカーであるハイアールと業務連携を行い、アクアのブランドで展開されている。企業のアイデンティティは「社員と製品」であり、言ってみれば「雇用とブランド」である。かつて10万人いた社員は、買収されたパナソニックに9,000人残り、あとはバラバラになったし、サンヨーでのブランド商品は、パナソニックやアクアなどになり、サンヨーの太陽光事業の象徴であった岐阜県に存在したソーラーアークのサンヨーのロゴは、平成23年8月にパナソニックに変更された。

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会社が無くなる、もしくは解体されるというのはどういうことなのだろうか?しかも三洋電機ほどの大企業が消えてしまうということはどういうことなのだろうか?先ほど、パナソニックやアクアを持ち出して大まかな流れに触れたが、その答えは簡単ではないし、複数のステークホルダーが関わるために、時間もかかるだろうし、複雑多岐を極めることは必至である。

一般的に三洋電機が危機に陥ったのは、平成16年(2004年)10月に発生した新潟県中越地震に被災してからだと言われているが、その2年前の平成14年の3月期には実質赤字になっており(同期の松下電器は4,310億円、日立製作所は4,838億円の赤字であるが、三洋電機は17億円の黒字を出し「勝ち組」と呼ばれた)、その頃から危険の兆候はあったと見るべきである。財務に関わる人間、特に平成14年から副社長であり、平成15年から最高財務責任者(CFO)である古瀬洋一郎は、このような状況を知っていたと思われる。

平成18年に金融3社(ゴールドマン・サックス三井住友銀行大和証券SMBC)が、3,000億円のリスクマネーを用意し、三洋電機優先株を購入し、平成21年にその株をパナソニックに売却した。この時点で、事実上、パナソニックの傘下になった。

企業が無くなったり、解体されたりすることに大きく関わるのが、銀行である。

三洋電機は、三井住友銀行(特に、旧住友銀行)と深い関わりがあった。古瀬洋一郎は、三井住友銀行から三洋電機に出向いた人間であり、松下電器の会長である中村邦夫にも接触していた人物である。古瀬を三洋電機に送り込んだのは、当時、三井住友銀行の頭取であった西川善文であり、西川はゴールドマン・サックスと深い関係にもあった。言うならば、結果として、平成18年以降の三洋電機の運命を握っていたのは、古瀬、西川、中村の3人ということになる(ちなみにこの3人は大阪大学出身である)。

ただ、三洋電機も金融3社の戦略を素直に受け入れていた訳ではない。当時、創業家の流れを汲む社長である井植敏雄(創業者の井植歳男の孫)を中心に、平成14年から社外取締役に就任し、平成17年には会長兼CEOである野中ともよなどが金融3社と熾烈な会社の主導権争いを繰り広げた。9人で構成される経営会議では、金融3社側が5、創業者側が4であったため、常にキャスティングボードは金融3社が持ち、会社は切り売りされ、最終的にパナソニックに売却されることになったのである。

ちなみに、金融3社が三洋電機に3,000億円を出資する仕組みを作った際のゴールドマン・サックスの会長は後の米国財務長官となるヘンリー・ポールソンである。さらにちなみにであるが、ポールソンは、リーマンショックの際の財務長官であり、ゴールドマン・サックスの利益のためにリーマン・ブラザーズの救済を行わずに、世界恐慌を発生させたとも言われている。

あくまでも本書の行間ではあるが、一見すると、実体経済が金融資本に翻弄され、言ってみれば、「雇用とブランド」が金融資本に棄損される様が描かれている。ただ、一方で金融は経済を動かしていくために欠くことの出来ないものでもあることから、実体経済と金融資本には表裏一体的な密接な関係があり、その密接さ故の厄介さや危険性が存在する。

ここで小生が一般論として申し上げたいことは、金融資本の善悪を問うているのではない(それは別の機会に譲りたい)。一つ言えることは、経済に身を置く人間、特に経営者の責務は社員の生活を守り、納税を以て社会貢献することであるのは言うまでもないが、そのためには人から預かった100円を200円に出来るかどうかであることを再認識した。その成否が、金融を毒にも薬にもするのである。

他にも、経済産業省の「チャンピオン+1」の考え方や三洋電機をリストラもしくは退職した元社員の奮闘も描かれているので、そういった面からも興味深く読むことが出来ます。