石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『最期まで、命かがやいて』

前回は、地域包括ケアの視点から在宅医療に関する著作を紹介したところ、結構な反響を頂いた。意外なというと失礼になるかも知れないが、拙ブログを気に掛けて下さっている層の広さに少々驚きつつ、日本の少子高齢社会の課題、とりわけ、医療と介護への関心が高いことも実感した。という訳ではないが、今回取り上げるのは医療に関わる著作、『最期まで、命かがやいて』(石賀丈士(2015)幻冬舎)である。

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日本における平成26年の総死亡者数は126万9,000人で、内、37万人が悪性新生物つまりガンで死亡しており、およそ30%の死亡率となっている。このような状況から日本人の最大の敵はガンであると言えるが、別の観点から申し上げると、日本人はガンでしか死に得ない状況に近づきつつあるとも言える。

本書はそんな日本における最大の死亡原因であるガンの末期患者と向き合い、14年間で1,000人を看取ってきた39歳の緩和ケア医が書いた本である。しかも、この著者である石賀さんは菰野町に隣接する四日市市にクリニックを開設しており、多くの菰野町民もお世話になっている。

この著作は「命のカルテ」と題した章立てとなっており、石賀さんが向き合った8人の患者とその家族が経験した末期ガンの現実が分かりやすく描かれている。一つ一つのケースがエスノメソドロジカルな手法をもって記述されており、対象となる事象から抽出される課題や解決策が明確に浮き彫りになっていることからも石賀さんの研究者としての力量も垣間見ることが出来た(小生の思い過ごしであったならゴメンなさい(笑))。

「治らない病気とどう向き合うか」という問いは、生半な心構えや中途半端な口先だけの偽善者では論ずることは出来ない。先ほど紹介したように14年間で1,000人を看取った実績はその問いを論ずる資格たるに必要かつ十分なものであるが、小生は別の面を評価した。その一つは、患者や家族とのコミュニケーションを重視し、ケースバイケースで対応していることである。それは、胃ろうや内服薬などへの考え方によく表れている。石賀さんは、「『飲み込めない』という状態になったということは、動物としての寿命が来ていることの表れ」(PP78)として、一時的な衰弱からの回復以外の胃ろうは用いない。ただ、ある患者に対しては末期ガンにも関わらず、生命の時間を稼ぐという意味から胃ろうの処置をした。後で、患者に感情移入をしてしまったと述懐していたが、小生はケースバイケースで対応したと考えている。それらは、抗がん剤や内服薬にも当てはまり、常に患者や家族とコミュニケーションを取りながら、最善策を処置している。

そのコミュニケーションは、看護師などのコメディカルスタッフとの関係においても重視し、スタッフの意見を尊重している。呼吸困難で苦しむ患者に日常生活においてマスク式人工呼吸を付けるかどうかを議論した際に表れている(PP115)。石賀さんは、マスクの装着は患者の負担が大きいため、余命1〜2か月のいつ亡くなってもおかしくない状況で苦痛を与えてまで延命する必要はないと感じていた。しかしながら、訪問看護師の一人がその考えに断固反対し、マスクの装着を強く訴えた。その結果、散歩や旅行が可能となり、日常生活を送って2年以上生きた。

この時の判断を石賀さんは反省しているが、小生はその判断の可否を取り上げたいのではない。先の胃ろうや内服薬なども含めて、終末医療に関わる医療判断は文字通り生死を分かつ判断となり、そこには医師という立場を超えて人間としても苦悩することになる。ましてや、石賀さんのような患者とのコミュニケーションを大切にする医師であれば、感情が入り交じり、ギリギリの選択に迫られると忖度される。さらに申し上げるなら、恐らく、その苦悩やギリギリの選択を患者や家族に悟られることなく職務を全うしなければならない立場であることから、それ故の懊悩が伴っていることに心底からの尊敬の念が湧き上がる。一方で、免疫療法を詐欺と言い切るその心意気に感銘を受ける。

この本には、医療費負担や在宅医療に必要な備品の値段なども詳しく記述されており、緩和ケアや在宅医療を有効に活用するために、患者や家族が知っておくべき知識や情報が満載である。ガンに関わる人だけでなく、「死に至る病」に罹患している我々すべての人に読んで欲しい。