石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『知識人と政治』

定期的に開催している読書会の前回の指定図書は、『知識人と政治-ドイツ・1914~1933-』(脇圭平(1973)岩波新書)だった。

ドイツにおける1914年~1933年と言えば、ナチス前夜の時代である。

第1次世界大戦の敗北により、多額の賠償金や領土を奪われることとなるヴェルサイユ条約を突きつけられたドイツは、国土が完全なる焦土と化さなかったが故に、国民の不満が募ることとなった(第二次世界大戦時の日本のように、主要都市が焦土と化すことで、国民が敗北を実感したことと、この時代のドイツの国民感情との対比は、別の意味で興味深い)。確かにドイツが戦争そのものに負けつつあったのは事実としても、国内情勢として、キール軍港の水兵反乱や国内での社会主義運動の拡大によって、国家としての統治能力に問題が生じたことが、ドイツ革命及び共和政への移行となり、連合国(イギリス、フランス、ロシアなど)との休戦交渉に結実した。

休戦交渉をした翌年にあたる1919年に誕生したヴァイマール共和国は、ご承知の通り、1933年1月にヒトラーが首相に就任し、事実上崩壊する。

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本著作は、このヴァイマール期にほぼ相当する時代におけるドイツの知識人と政治をトーマス・マンマックス・ヴェーバーを通して論じ、ドイツの政治的思考の宿痾を炙り出そうとしている。

脇圭平の問題意識は、本書の序章に記述されているように、加藤周一の「ファシズム自由主義の後から来たという歴史的事実」(PP8)という言に端的に表れている。と同時に、その「歴史的事実」から学ぶために、ファシズムを無条件で非難し、デモクラシーを無条件で賛美するのではなく、「ファシズムをわれわれ自身の『体験』とつなげながら、思想的に検討し処理する努力」(PP1)の必要性を説いている。

本書は、政治への不満やそれに伴う過度な(もしくは的外れな)期待、その反動としての幻滅や落胆といったニヒリズムポピュリズムへの帰結の危険性を浮き彫りにしている。また、小生としては、ある種の非日常性を帯びた選挙というものが民主主義の根幹となり、日常生活を基礎付ける政治に正当性を付与することへの懐疑を忘れてはならないと感じたし、政治や選挙における熱狂が、我々の生活を根本から崩壊させる機能を有している側面もあることをこれまでも認識していたが、改めて痛感した。

ちなみに、脇圭平は、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』の訳者でもある。