石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

54年ぶりの「鵺退治」

以前のブログで、三代目鳥羽屋三右衛門(以下、三右衛門)の後援会の発起人をお引き受けしたことを申し上げましたが、その後援会のメンバーの皆さんと初代鳥羽屋三右衛門の石碑のお参りに深川本誓寺に足を運びました。この石碑は、本年(平成28年)2月に初代鳥羽屋三右衛門の250年遠忌を機に建立されました。

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お参りの際はあまり時間も無かったので、本誓寺の住職や関係者とお話しすることが出来ませんでしたが、後日、本誓寺について調べると、本居宣長の江戸の菩提寺であったことが判明しました。墓だけでなく伝承なども現存していないとのことですが、次回赴く際は、三重県人として、宣長のことを伺ってみようと思います。

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過日、歌舞伎座で團菊祭を鑑賞した。演目は、「鵺退治」、「菅原伝授手習鑑 寺子屋」、「花街模様薊色縫 十六夜清心」、「楼門五三桐」の四つだった。三右衛門が登場したのは「鵺退治」。三右衛門が出演しているということでも楽しみにしていた演目であったが、54年ぶりに上演されるという幻の作品ということでも楽しみであった。また、三右衛門の長唄が前面に出る場面もあり、マニアックな見方ではあるが、この約20分間だけでも、小生としては十分であった(と言いながら、最後まで見てきたが(笑))。

さらに「鵺退治」は、以前のブログ で少し触れた 福地桜痴 の作品である。榎本武揚に吉原に連れて行ってもらい、感激し過ぎて、妓楼住まいをした桜痴ではあるが、明治初期のトップジャーナリストであり、文化の面では歌舞伎座を創設(ちなみに、歌舞伎座の座紋である「鳳凰丸」は、桜痴が自宅の釘隠しに用いた紋を採用したと言われている)した手腕は、いかに自らの生計を立てる為であったといえ、後世に語り継がれるべき逸話である。その歌舞伎界や歌舞伎座の恩人とも言うべき、桜痴の伝説の作品を、関係する三右衛門の長唄で鑑賞出来たのは、至福の時間であった。

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残り三つの演目についても、「寺子屋」については、以前のブログ でも取り上げた「伽羅先代萩」のような忠義物の一つであったり、「十六夜清心」は勧善懲悪とは異なった世界観からなるどうしようもない人間の業であったり、「楼門五三桐」は三右衛門の師であり、父である人間国宝鳥羽屋里長長唄の独唱から始まったことなど、思うところは数多あるが、別の機会があれば、そちらに譲りたい。

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