Out-of-place ! (笑)
会場は、「これが平日の午前中?」と思われる程の多くの人で賑わっていましたし、そこに集まる皆さんの服装や風貌たるや小生のスーツ姿とは対極に存在すると思われる雰囲気で溢れていました。恐らく、会場の皆さんは、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のコンサート会場に山下清が現れたぐらいの驚きと奇異さで小生を見ていたに違いありません(笑)
こういうアウェイ感も嫌いではない(どちらかというと楽しめるタイプです(爆))ので、もう少し深堀りをして話を伺ってみると、このhandmade shop chocomo は、おうちショップ や マルシェ が世間で流行りだす前の7~8年前から始まっているとのことでした。マルシェという言葉は世事に疎い小生でも知っていましたが、おうちショップは知りませんでした。同じような言葉にガレージショップというのもありますが、ガレージショップには、スティーブ・ジョブズ的な、もしくは、サイド6のテム・レイ的な電気機械を扱うイメージに対して、おうちショップは、お菓子や衣服、陶器などの生活雑貨を扱う印象を持ちました。
繰り返しにはなりますが、明らかに Out-of-place ! でしたが、いい勉強になりました。柵山ご夫妻をはじめ企画運営の皆さんに感謝申し上げます。明日15日(土)の午前中も開催予定ですので、皆さんもスーツにネクタイ姿(←ウソです)で足をお運び下さい!
今年のノーベル文学賞は、歌手のボブ・ディランに決まりました。米国内では、毎年その候補として名前が上がっていましたので、「ようやく」という声も多くあるようです(村上春樹が授賞した場合に日本国内での受け止め方に近いと勝手に想像しています)。
という訳で、久々に 中山康樹(2000)『ディランを聴け!!』(旬報社)を手に取りました。小生はディランそのものの論評は不可能ですので、信頼する批評家を探すという意味では、ジャズ雑誌である「スイングジャーナル」(2010年に休刊)の編集長であった中山は信頼出来ますし、特に、この『ディランを聴け!!』は圧巻です。読む度に新たな発見があり、今回もパラパラと読み返しただけですが、気付かなかった評価を散見しました。
一つだけディランのノーベル賞授賞に付言すると、確かに詩そのものも素晴らしいですが、ディランの真髄はライブ(即興性)と音にあると思いますので、ノーベル文学賞という範疇に収まるかが疑問です。そもそも反戦や公民権運動の文脈で語られる「風に吹かれて」もピーター、ポール&マリーがフォークとしてカバーして売れた訳ですし、先の中山の批評としては、ディランの「風に吹かれて」は「ポップスの小品」に過ぎず、「ディランは戦争や人種差別に責任をとる気はなかった」と述べています。少なくとも「フォークの神様」的な文脈で評価され、狭いジャンルに分類される存在でないことは確かだと思います。
率直に申し上げるなら、1997年にダリオ・フォ(劇作家)がノーベル文学賞を授賞した際の驚きの方が印象に残っています。ただ、その ダリオ・フォが奇しくも、昨日、逝去 したのも何かの巡り合わせということでしょうか?