大観、玉堂、龍子の循作展
横山大観、川合玉堂、川端龍子は、それぞれが独自の道を歩みながらも互いに交流をしていました。その3人が、昭和27年(1952年)から6年をかけて、「雪月花」展と「松竹梅」展を開催しました。その趣向は独特で、雪と月と花の三つの画題を3人それぞれに割り振り、毎年画題をずらして、3年で全体が完成するという展覧会でした。
なかでも、辰澤家所蔵の「鍾馗」との邂逅は望外の喜びでした。この「鍾馗」は、延次郎の孫の達太郎が誕生した際に、大観が贈ったものですが、後に大観が別の作品に取り替えたいと申し出たにも関わらず、そのままになったという逸話の残る作品です。なぜ大観が取り替えたかったは小生は知りえませんが、一般的な鍾馗は、厳しい表情の作品が多い中、この鍾馗は柔和な表情で描かれているのが特徴的です。