石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

人づくり=町づくり

昨日11日(日)の9:00から 第10回美し国三重市町対抗駅伝 に出場する菰野町チームの激励に足を運びました。

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この日は、小学生や一般の選手の選考会が行われ、特に小学生の選考会では、夏以降の練習会に参加した児童らが、しのぎを削っての走りを見せていました。

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この日も、チームの監督である田畑智貴さんらのチームスタッフをはじめ、菰野町体育協会 などの多くのスポーツ関係者のお世話になりました。

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このような選考会一つを拝見しても、菰野町のスポーツ振興には、実に多くの皆さんが関わってくれていることが分かります。この日の選考会に直接関わる皆さんも当然そうですが、例えば、子どもから高齢者、障がい者までスポーツに親しむための環境を整えている菰野町の地域総合型スポーツクラブである 元気アップこものスポーツクラブ菰野町体育協会、菰野町スポーツ・文化振興会、各小学校のスポーツ少年団、中学校の部活などのスポーツ関連団体に関わる皆さんの存在は大きな意味を持ちます。しかもこれらの関係者は、鈴鹿山麓かもしかハーフマラソン菰野ヒルクライムチャレンジ in 鈴鹿スカイライン などのスポーツイベントだけにとどまらず、菰野町の夏の風物詩である 三滝川 燈火祭りなどの町づくりそのものにも関わって頂いています。

このような団体は、「国家」(現代ではグローバル経済と置き換えることも可能ですが)と「個人」の間に存在し、社会に対してのむき出しの「個人」にフィルターを与えるための「中間集団」(小生としては「中間団体」と言いたいところですが、デュルケム的な社会学としては「中間集団」の方が一般的ではあります)と位置付けることが出来ます。この「中間集団」が脆弱になると、社会(ここでは地域社会)の紐帯が弱くなり、個人が社会の中で孤立する可能性が高まると考えられています(ただ一方で、「中間集団」の強制力や同調圧力が強すぎると別の問題を引き起こす可能性もあります)。「都市化」や「個人主義」が進行する中、行政や公権力だけでは行き届かない現代の日本社会の課題を解決するために、この「中間集団」の持つ機能は見直されつつあります。小生なりの期待を申し上げるなら、官と民の双方の資源(ヒト、モノ、場所、時間、資金など)を有効に活用して、目的に沿った、いやそれ以上の目的に向かって活動を展開し続けることが、地域社会に大切な価値を保守し形成し続けることにつながるのだと思います。

小生が考える「中間集団」の別な機能として重要なことは、社会的課題に対する議論が深まることとその議論により人的交流が生じることです。このことは、多様化した個人の価値観と行政の役割を考える際の手掛かりになりますが、詳細を申し上げるのは別の機会に譲りたいと存じます。

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口先だけ、掛け声だけの傍観者(イベントなどでパイプ椅子一つ運んだことない人に限って、文句ばかり言っているのは往々にしてありがちですね(笑))ではなく、町のために知恵を出し、貴重な時間を費やし、汗をかいて、人を作り、町を作っている関係各位に改めて敬意と感謝を申し上げます。

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たまたま偶然でしたが、菰野町図書館で開催されていた 第2回 吉田三郎 写真展 を拝見しました。今回は、春の花をテーマにした展覧会でした。これから待ち遠しくなる春に思いをはせる作品が展示されていました。残念ながら、11日(日)までの開催ですので、このブログを読んだ方に足を運んで頂くことは出来ませんが、次回は4月か5月に夏の花をテーマに写真展を開催されるということでしたので、その際はご覧いただければ幸いです。

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