石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』

昨年、ある種のブームになった(と小生は勝手に思い込んでいる)栗原康(2016)『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)を読んだ。この書籍の題名は、伊藤野枝(以下、野枝)の 小説『火つけ彦七』『白痴の母』 から取られたものであるが、かの社会運動家である大杉栄と一緒に関東大震災の際に憲兵大尉の甘粕正彦らに殺害された野枝の生き様を端的に表現した著者の栗原のセンスを感じさせる。

「野枝の生き様」と表現したが、辻潤という戸籍上の夫がありながら、大杉栄と恋仲になり、かつ、それを正当化するように婚姻制度を批判する態度を「生き様」とするのは、眉をひそめる人もいるかも知れないが、憲兵大尉に惨殺される程、体制側に危険分子とみられた人生は、それはそれで筋の通った「生き様」と断じて良いと思う。

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大杉栄といえば、堀保子という内縁関係の女性がいる上に、神近市子(戦後衆議院議員を5期務めた)にも手を出し、その上で、野枝とも付き合う関係であった。この野枝との関係が元となって有名な 葉山日蔭茶屋事件 が起こる。この事件は、現代のゲス某などといった男女関係の醜聞とはスケール感が全く違う。あの日本を代表するアナキストである大杉栄であるなら、社会運動のデモの際に警官隊と衝突するとか、テロリストに命を狙われて、瀕死の重傷となるならまだしも、痴情のもつれによって愛人に喉元を刺されるという珍事を招いた事件である。

金策に困った大杉と野枝が、日本における国家主義あるいはアジア主義頭目であるの頭山満(野枝の遠縁にあたる)を頼みにするものの、頭山も自由になる金がないため、小生のブログでも以前に取り上げた 杉山茂丸を紹介したが、結局お金をもらえなかった。杉山に無心を断られる際に、杉山が「後藤が、後藤が」と内務大臣であった後藤新平の名前を出したことから、後藤を訪ね、今の金額で100万円ぐらいをせしめることに成功したことが、葉山日蔭茶屋事件の発端となる。なぜならば、万年貧乏で市子が貢いでいる大杉栄が、野枝と葉山に旅行に行き、しかも着物まで贈っていれば、事情を知らない市子は逆上するというものである。

二十数年前に日本で実子に「悪魔」という名前を付けようとした騒動があったが、野枝と大杉栄との間に出来た子どもは、野枝自身が、世間から「道徳的におかしい、人間じゃない、悪魔だ」と言われていたから、悪魔の魔を取って、魔子と名付けられた。小生の友人に野枝がいたら、どのように付き合っているかは分からないが、家族という近代制度に真っ向から対峙したその気概はあっぱれというべきであろう。

男女共同参画社会の分野や「イクメン」や「イクボス」などに関わる行政や政治の関係者は、自らを相対化する書にしてはいかがであろうか?