伊勢湾台風の副次的効果
人ぞれぞれの日常生活によって異なるとは思いますが、乗り物と言って真っ先に思い浮かぶのは、乗用車でしょうか、バスでしょうか、鉄道でしょうか?今回の企画展では、三重県内の乗り物が取り上げられ、その歴史に始まり、最近の話題などが一目で理解出来る展示となっています。
菰野町の湯の山温泉街と御在所岳山頂を結ぶ 御在所ロープウエイ も大きく取り上げて戴いていました。恐らく、現在行っているリニューアル工事に伴って取り外したゴンドラも展示されており、じっくりと大きさや構造を見ることが出来ます。御在所ロープウエイは、昭和34年(1959年)に開通し、これまでの利用者は、4,000万人を超え、現在では、標高400mにある麓の湯の山温泉駅から標高1,180mにある山上公園駅の高低差約780mをおよそ12分間で移動する能力があります。中でも、標高940m地点に建つ6号支柱 は、高さが61mあり、ロープウエイの鉄塔としては日本一の高さを誇っています(建設当時は、世界一でした)。
展示してあるゴンドラの背景には、御在所岳の写真が配置され、ゴンドラの中から写真を撮ると、本物のロープウエイに乗っているかのような画像を撮ることが出来ます。安全管理上の問題から別々の展示となっていますが、ゴンドラとワイヤーを接続させる部分の展示もしてあり、複式自動循環式ロープウエーの仕組みを学ぶことが出来ます。
三重県に初めて鉄道が開通したのは、明治23年(1890年)に関西鉄道の四日市から上柘植の区間(上柘植以西は、草津まで通じていました)でした。この関西鉄道は、当初、東海道本線と三重県下の各都市を結ぶことを目的として設立されたことから、本社は四日市市にありました。その後、明治24年(1891年)には、亀山から一身田、一身田から阿漕の区間が開通、さらに明治26年(1893年)には、阿漕から宮川、明治27年(1894年)には、四日市から桑名、明治28年(1895年)には、桑名から名古屋が開通し、鉄道網が発達していきます。
菰野町に関係する近鉄湯の山線の展示は残念ながらありませんでしたが、戴いた図録には、当時の菰野村の伊藤新十郎他沿線町村住民18名が発起し、大正2年(1913年)に開通した四日市鉄道(川島から湯の山)の記録が掲載されていました。
小生の個人的な興味を引いたことは、三岐鉄道三岐線が当初四日市と関ヶ原を結ぶ計画でスタートしていることでした。三岐線は、セメントの貨物輸送が大きな比重ではありましたが、もしこちらも東海道本線に駅がある関ヶ原と繋がっていれば、輸送網のみならず、都市計画の観点から三重県北勢部がどう発展していたのだろうと考えてしまいました。
ご承知の通り、三重県内には、全国で3線しかないナローゲージ(762mm軌間)が、2線存在しています(三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道(内部・八王子線))。軌間に関する展示も分かり易くなされていましたが、展示の最後の映像資料も軌間に関わることでした。かつて近鉄名古屋線は狭軌(1,067mm)であり、標準軌(1,435mm)であった大阪線や山田線とは、直通運転が不可能でした。それを昭和34年(1959年)の伊勢湾台風の災害復旧に合わせて、名古屋から伊勢中川までの区間を標準軌に敷設替えをして、名古屋から大阪までを全線標準軌化しました。この記録映像を拝見出来たことも三重県の鉄道の歴史を俯瞰する上で僥倖でした。