石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

どん底名人の、どん底名人による、どん底名人のための本

昨日の拙ブログ で触れた稲葉禄子さんの『囲碁と悪女』(2017、角川書店)の出版記念パーティは、囲碁棋士依田紀基九段の『どん底名人』(2017、角川書店)との合同パーティであった。当然ながら、出席者は、『囲碁と悪女』と『どん底名人』の2冊を頂戴した。恥ずかしながら、会場で名刺交換(と言っても依田さんは名刺を持っていなかった(笑))をするまで、依田さんのことは存じ上げなったので、著書を戴いたものの、他に読みたい本もあり、読むかどうか悩んでいた。そんな中、パーティ後に稲葉さんと話す機会があり、依田さんが出版するに至った経緯やそれまでの棋士人生、現在の状況、出版記念パーティへの関わり方などを教えてもらって、その人間性に大いなる関心を抱き、帰宅後、即座に読み始めた。

稲葉さんに拠れば、出版にあたり作業をした業界関係者が「『どん底名人』なんていうタイトルは、人生のどん底を味わった上で、成功した人が自らの人生を振り返る時に付けるタイトルなんですが、依田さんの本の面白いのは、どん底の人が、どん底の状態で、どん底を語るところなんです」と言ったということで、この一言が小生を強く突き動かしたのは言うまでもない。リンカーンであれば、"this book of the Master in depths, by the Master in depths, for the Master in depths" というのかも知れない(笑)

イメージ 1

山本周五郎は、花街などに赴き、散財し、あえて無一文になってから、新しい作品に取りかかったと聞いたことがある。退路を断って作品と向き合うということは、身命を賭すという感覚であるから、それなりの人生観を伺うことが出来そうである(ただ、山本周五郎は、そういう意味での散財ではなく、作家の事業性と執筆料の投資性に起因するのであるが)。しかし、退路を断たなければ自らの才を出し切れないというのは、ある面では、アマチュアに属する甘えた考え方であるとも言えなくはない。つまり、どのような状態(裕福だろうが、貧困だろうが)であっても、自らの力を出し切れるのが、プロフェッショナルであるとも言える。

依田さんの場合、一度めは18歳頃からの賭け麻雀、二度めは25歳頃からのバカラによる無一文どころか借金生活状態を棋力のみで脱出した。このことは結果論から言えば、退路を断ち、自らをギリギリに追い込んで、新たな力を引き出したように映るが、全く違うのである。それは、依田さん自らが思慮に思慮を重ね、冷静に自己を省みた結果、「私は意志が弱い」と言い切っていることからも明らかである。本書によれば、その筋金入りの意志の弱さと株式運用の失敗から、現在三度めの「どん底」にいる。

どんなにデタラメな生き方であろうと、その人が自らの責任において悪戦苦闘した結果、不幸な状態にいる人や境遇を蔑笑する悪趣味を小生は持ち合わせていない。どちらかと言うと、その逆で、そうやってもがき苦しむこと自体が人生を崇高なものに変える可能性を内包しているとすら考えているので、ある種の尊敬の念を抱く場合がしばしばある。

イメージ 2

依田さんの人生は言葉によって支えられている。
囲碁を覚えて1年半が経過した小学5年生の10月に郷里の北海道を後にして、東京の日本棋院の院生になる際に、「15歳までに入段できなければ、北海道へ帰ってこい。そのときは丁稚奉公させる」(PP22)という依田さんの父の言葉。一度めの「どん底」の出口を探している際に、「依田君、碁が弱い碁打ちほど惨めなものはないよ」(PP116)という故 上村邦夫九段の言葉。一度めの「どん底」を抜け出し、2年ぶりに故 藤沢秀行九段の勉強会に参加した際に「お前、遊んでいて強くなったんじゃないのか」(PP119)という藤沢さんの言葉(この言葉は藤沢さんが言うからこそ、本当にいい言葉だと思う)。

このような言葉をかけてもらえる依田さんはそれだけで強運の持ち主だと思うが、国外の移動時に、予約済みの飛行機をわざわざキャンセルし、行動を共にしていた10人ぐらいとともに団体でバスに変更したら、乗っていたはずの飛行機が空中で爆発した話は、フィクションを凌駕している(PP183)。

近い将来、三度めの「どん底」を脱出し、七大タイトル戦で、我が菰野町湯の山温泉 に来てもらいたい。その時は、小生が「どん底」になっているかも知れないが、四度めの「どん底」の計画を一緒に練ろうと企んでいる(笑)