石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

Please continue, teacher.

"Please continue, teacher."

これは、「人間がいかに権威に服従するのか」を社会心理学的に明らかにしようとしたミルグラム実験(もしくは、アイヒマン実験)において、実験室内で「先生役」の被験者に繰り返されるフレーズである。このミルグラム実験は、「先生役」の被験者が、「生徒役」に簡単な問題を出し、不正解の場合に罰として「生徒役」の身体に電流が流されるというもので、しかも、不正解が続くと電流の負荷が増していくというものである(もちろん、これは実験であるので、「先生役」には内密であるが、実際に「生徒役」には電流は与えられず、演技として苦痛の声を上げる)。

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今さら言うまでもないが、アードルフ・アイヒマンは、ナチスドイツにおいて、ヨーロッパ各地の何百万というユダヤ人を強制収容所に送った責任者である。そのアイヒマンが、昭和35年(1960年)に逃亡先のアルゼンチンでモサドに拘束され、その裁判が、翌昭和36年(1961年)4月にイェルサレムで始まった 。そのアイヒマン裁判を傍聴していた ハンナ・アーレントは、アイヒマンの行為を「悪の陳腐さ」と定義 し、ごく普通の組織の論理つまり命令に従った結果、ホロコーストが実行されたと結論付けた。しかしながら、ポーランドアウシュビッツウクライナのバビ・ヤールを持ち出すまでもなく、あのような大量虐殺は、我々とは異なる特殊な極悪人が行ったことだと思い込みたかった大衆は、アーレントの「凡庸なるが故にあのような虐殺が起こる」という考えに反発を抱く。

ミルグラムは、ナチスドイツ時代の社会でない現代民主主義社会に生きる人間であっても、状況が整えば、誰しもがアイヒマンになる可能性があることを実験を通じて明らかにしようとした。このような指摘は、独善的な視点や立場で物事の価値を他人に押し付けたり、その論理を信じて止まずに「正義」や「合理」を過信している人にとっては耳の痛い話ではあるだろう。

この映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』自体は、題名と内容に乖離を感じざるを得なかったが、同調圧力や社会全体としての思考停止とはどういうことかを考えるきっかけを与えてくれることは間違いない。何よりも「操り人形の糸に気づくこと。それが自由への第一歩だ!」というエンディングのセリフが、民主主義や資本主義、全体主義民族主義国家主義などに懐疑の眼差しを向ける契機となる。ただし、それは、アーレントミルグラム(最近のEUの右傾化に警告を発し続けているハーバーマスなども含まれる)に見るまでもなく、無定見な責任なき自由とは別次元であり、己を常に critical な状況に晒さねければならない茨の道である。

ご参考までに 類人猿作戦 及び 現在の欠落