石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

ベントの遅れの真相 (『カウントダウン・メルトダウン』その1)

東日本大震災関連の書物が数多く発刊されており、もとより遅読ではありますが小生なりにその中の幾つかを乱読しました。今回このブログで、『カウントダウン・メルトダウン』(船橋洋一(2012)文藝春秋)を取り上げるのは、膨大な資料とヒヤリング調査をもとに、政治家、官僚、東京電力などの組織が、主に東京電力福島第一原子力発電所の事故にどのように取り組んだかを詳細に扱っており、ある程度中立性を保ちながら、論が展開されていると感じたからです。上下巻を合わせると900頁にも及ぶ大部ですので、今回は当時話題となった「ベント」に焦点を当てて、取り上げてみたいと思います。

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小生が最も気になったことは、ベントと呼ばれる格納容器内の上記の放出作業に関連した政府及び東電の動きです。

3/11(金)14:46    地震発生。
  同    15:41    1号機~5号機までの全交流電源喪失
  同    21:00過ぎ 2号機原子炉隔離時冷却系が停止との報告(結果的に誤報)。
  同    21:23    福島原発から3km以内の避難指示、10km以内の屋内避難指示。

3/12(土)00:55    1号機格納容器圧力異常上昇。
  同    01:30    菅首相及び海江田経産相がベント了承。
  同    03:06    海江田経産相東京電力の共同記者会見で3時頃ベント実施を発表。
  同    05:44    福島原発から10km以内の避難指示。
  同    06:14    菅首相が官邸屋上からヘリで福島原発に出発。
  同    06:50    海江田経産相が原子炉等規制法に基づくベント指示。
  同    07:11    菅首相福島原発に到着。
                菅首相吉田昌郎福島第一原発所長らが面談。
  同    08:11    菅首相福島原発を出発し、他の被災地の視察。
  同    09:02    東京電力が10km以内の住民避難完了の確認。
  同    09:04    1号機のベント実施指示、作業着手。
  同    09:30    1号機の1つ目の弁が開放。
  同    10:47    菅首相が官邸屋上に到着。
  同    14:30頃   1号機の2つ目の弁が開放され、放射能が放出。
  同    15:36    1号機の水素爆発。
  同    18:25    福島原発から20km以内の避難指示。
  同    20:20    1号機への海水注入。

3/13(日)02:44    3号機の非常用炉心冷却装置の高圧注水系が停止。
  同    08:41    3号機のベント。

3/14(月)11:01    3号機の水素爆発。
  同    23:39    2号機格納容器圧力異常上昇。

3/15(火)未明       東京電力福島原発からの退避を検討。
  同    05:26    政府と東京電力共同の福島原子力発電所事故対策統括本部を東京電力内に設置。
  同     06:10    2号機に衝撃音。4号機の爆発。
  同     08:00    福島県原子力災害対策センターが大熊町から福島市に移転。

3/16(水)16:00     自衛隊のヘリにて福島第一原発上空のモニタリング。
  同    17:20     上空の放射線量が高いため自衛隊によるヘリからの放水を断念。

3/17(木)8:56     自衛隊のヘリからの放水開始。計4回、約30トン。

     【この時系列は本書を参考にしながら、他の資料を加味して、石原の責任において作成】

ベントの遅れについては、菅首相東京電力の対応に痺れを切らせて、官邸から現地にヘリで赴いたことが、原因と言われていましたが、関係者の証言と事実関係を照合するとそうでもないように思われます。確かに、菅首相はなかなかベントをしない東京電力に対して苛立ちを覚えており、直接現地に乗り込んで事態を動かそうとしていたようですが、01:30にベントを了承した後の02:20に福島行きの意思を固めていることから、ベントは既に終了した上での現地視察を考えていたことが窺えます(ヘリに乗り込む「出発前の発言メモ(案)」には、午前4時@@分に実施したベントの状況を確認という件がある)。

であるなら、ベントを実施出来ていないことが明らかな6時の時点でなぜ取り止めにしなかったのかという疑問が湧いて来ることは当然だと思いますし、また、交流電源が喪失状態の原子力発電所において指示を出せば即座にベントが出来ると考えていたことは、想像力の欠如という他ありません。

ただ、一方で菅首相のヘリに遠慮をしてベントが遅れたという理屈も成立しないと言えます。海江田経産相が何を考えていたかは定かではありませんが、菅首相がまさにヘリで上空を飛んでいるその最中に、原子炉等規制法に基づくベントの指示を出していることです(海江田経産相は、指示を出しても即座にベントを実施することは技術的に困難であると知っていたのかも知れませんし、菅首相の命運よりも国家の命運が重要だと考えたのかも知れません(笑))。

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          平成23年3月12日の福島第一原発1号機(出展:東京電力のホームページ)】

では、どうしてベントが遅れたのか?
本書では、
・手作業でベントを実施しなければならない状況下で、原子力発電所内の放射線量が高すぎて、なかなか作業が進まなかったこと
・結果的に誤報であったが、11日の21:00過ぎに2号機原子炉隔離時冷却系が停止との報告があり、1号機と2号機のどちらのベントを優先させるか混乱していたこと(このことを明らかに示すものとして、12日の03:06からの 海江田経産相と東電の共同記者会見 では、2号機からのベント実施を明言しながら、会見の終盤に新たな情報ということで、急遽1号機からベントを実施することになったと発表している)
・12日の05:44に発表された10km以内の避難指示による住民避難の完了が、09:02まで確認出来なかったこと(これについては、当初の予定では、3km以内の避難指示、10km以内の屋内避難指示の状態でベントを実施しようとしていたが、その後変更された)
などが列挙されている。

これらに加えて、菅首相原発視察に際し、現場の指揮官である吉田昌郎福島第一原発所長が「何でこんな時、来なきゃいけないんだ」や「自分が総理の相手をするために出たら、誰が代わりをやるんだ」と難色を示していたり、後々に「言い訳になるかもしれないけど、菅総理がフクイチ(福一)の現場に来たことで、そちらにばかり目がいってしまい、2時間ほど『ベント』などの指示が出せなかった。当時は、すべて私が指示をして動いていた。それが止まったことで、周りも動けなくなってしまった」などと証言していることと中央制御室にあった作業行程の情報を共有するためのホワイトボードに06:29~09:04の間は空白になっていることから、菅首相が現場の作業地帯に影響を与えたことは事実と言及出来そうです。

以上の事実も重要ですが、官邸内部でも複数の指摘があったように、小生に言わせれば、災害対策の最大権限者かつ統括者である首相が、現場に赴くなどという暴挙に出たことは万死に値する行為であり、批難の誹りから逃れられるものではありません。

1号機はベントの後に水素爆発が発生、3号機もベントがなされたが、その後に水素爆発が発生、2号機に関してはベントを試みたが出来ずに、格納容器の圧力抑制室が破損(したとの報告がなされている)し、3月15日の未明から福島第一原発は最大の危機的状況を迎えることになります。次回以降のブログでそのことについて触れてみたいと思います。