石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

46だったのか(笑)

4日(土)の14:00から パラミタミュージアム で開催された 北斎の富士-冨嶽三十六景と富嶽百景- のオープニングレセプションにお伺いしました。

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冨嶽三十六景と富嶽百景は言わずと知れた葛飾北斎の代表作であり、日本のみならず世界に知れ渡った美術作品群です。今回の企画展の第一の見所は、148作品(冨嶽三十六景は46作品、富嶽百景は102作品)のすべての作品群を一気に鑑賞可能なことです。加えて、もとより門外漢である小生には判別できかねますが、専門家の評価では、保存状態の観点からも相当良質な作品が展示されているとのことでした。

冨嶽三十六景は、様々な場所から富士山を描いたもので、大きな波しぶきの向こうに富士山が見える「神奈川沖浪裏」や赤富士を定着させた「凱風快晴」などは、誰もが知っている作品です。風景や人物などの中に富士山をはめ込む構図に小生はその独創性を感じますが、頂いた図録を拝見すると、1771年に発刊された河村岷雪の「百富士」にその類似した構図が存在することが示されています(だからといって北斎のオリジナリティが否定される訳ではありませんが)。そのことは、北斎が先行作品を学んでいたことを意味しており、さらに、販売する出版者が買い手を意識して、売れ筋の作品を北斎らの画家に創らせていたのではないかと想像させます。とするならば、出版者というプロデューサーの存在により、芸術文化が特権階級の占有物ではなく、町人にも拡張し、江戸の元禄文化化政文化という町人文化の発展の一助となったと言えるでしょう。

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諸説がありますが遅くとも1831年に発刊されていたと言われている冨嶽三十六景や1834年に発刊された富嶽百景が販売されていた当時、1枚の錦絵の相場はどれくらいだったのでしょうか?贅沢品を禁じた天保の改革(1842年)によって、錦絵は1枚16文以下と制限されました。当時の16文はかけ蕎麦1杯に相当しますので、現代で言えば、300円~400円といったところでしょう。手ごろな値段で作品が購入可能なことと作品が量産されることの社会的条件が整ったことによって、町人文化が成熟したことになります。

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今回のオープニングレセプションでは、来賓の挨拶を仰せつかりました。そのために少し早めに会場に入り、作品や図録を拝見して予習をした時点で、冨嶽三十六景が36作品ではなく46作品から成ると判明し、小生の浅学菲才を再認識しました(当然ながら、そのことをネタに挨拶では笑いを取りに行きましたので、転んでもただでは起きません(笑))。いつもながら、パラミタミュージアムさんには鍛えて頂いております(笑)

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5月10日(日)までの開催となっておりますので、ゴールデンウィークなどを活用して足を運んで頂きたいと存じます。