石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

世界で最もお洒落な制服

堤清二(以下、清二)の人生の豊饒さを示す一つに、三島由紀夫との関係を触れられずにはいられない。三島が昭和45年11月25日に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したことは、あまりにも有名であるが、その際に盾の会が着用していた制服を清二が手配していたことは、あまり知られていない(このことは自叙伝である『叙情と闘争』で触れられているので、当たり前だが、知っている人は知っている(笑))。

三島と旧知の関係であった清二に「世界最小の軍隊には、世界で最もお洒落な制服が必要だ」という名目で、ド・ゴール将軍の制服を作ったデザイナーを探して、用立てて欲しいと依頼があった。調べてみると、五十嵐九十九という日本人で、西武百貨店で働いていた事が分かった。

そういう経過の後、清二が用意した制服を着て、三島は自決する。

その三島の通夜で、父である平岡梓から「あなたがあんな制服を用意するから息子が死んでしまったんだ」と非難されることになる。この非難は、常識人からすれば、「息子の自決を制服のせいにされてもな・・・」という理不尽極まりないものだと感じるかも知れないが、清二レベルの人間であれば、それがたとえ死装束だと事前に認識していたとしても、いや、逆に知っていたなら余計にある種の名誉として、用意したかも知れない。

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                              【出典:Wikipedia

小生がそう感じたのは、西部邁ゼミナール に出演した際に、三島の自決に触れ、「気が狂ったとしか思えない」とコメントした当時の首相であった佐藤栄作や「迷惑千万」と言及した同じく防衛庁長官であった中曽根康弘らに対して、不快感を示しているからであり、そこに清二と三島の並々ならぬ有形無形の関係性を感じざるを得ない。

今回は、『ユリイカ』(2014.2)を下敷きに、清二を考えてみたが、他にも『文藝春秋』(2015.4~6)に連続掲載された児玉博「堤清二『最後の肉声』」も参考になった。ただ、平成12年(2000年)から堤清二のオーラルヒストリーを記録しており、第1期の取材分は活字に出来たものの、第2期以降は未完に終わっている御厨貴(『ユリイカ』(2014.2)PP111)などは、この児玉のノンフィクションをどれくらい評価するのか知りたいところである。

最後に、偶然にも11月25日が忌日となった清二と三島の機縁に感じ入るとともに、今後も、二人に通底すると思われる独立への憧憬に考えを巡らせていきたい。