石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

堤清二にとっての「人間回復」とは?

『レッドアローとスターハウス』(原武史(2012)新潮社)でも取り上げられていた西武鉄道日本共産党と言えば、堤清二(文化人としては辻井喬。以下、清二とする)を連想される方も多い。とは言うものの、昭和24年(1949年)の22歳の時に入党し、翌年には所感派と国際派の分裂に伴い除名処分を受けるので(ちなみに清二は国際派に所属していた)、実際に党籍を置いたのは、およそ1年間である。たった1年間にも関わらず、清二に革新のイメージがつきまとっているのは、あの自由民主党所属の衆議院議員で親米反ソを信条とし、大資本家としても西武鉄道グループを率いた堤康次郎の身内ということに起因するのは間違いないであろう。しかしながら、清二をオルグした東京大学で同級生であった氏家齊一郎や共に行動していた渡邉恒雄共産党の細胞として活動していたのであるから、清二だけが特別ではない。

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平成25年(2013年)11月25日に86歳の人生を閉じた後に特集が組まれた ユリイカ』(2014.2) を入手して読んだ。

ここには、生前に親交のあった人々(一部、親交のなさそうな人もいたが)のそれぞれの清二が語られていて、人間像をとらえるのに役立った。父康次郎や弟義明との確執を通しての清二を語ったもの、西武百貨店ファミリーマート無印良品などの経営者としての清二を語ったもの、詩人や作家としての清二を語ったものなど、さすが、いささか安直な表現だが、多才な清二の面目躍如といったところである。

流通業界という人々に消費を促す資本家の立場でありながら、『消費社会批判』という博士論文を著した清二だけあって、吉見俊哉北田暁大がやりとりしている「文化-資本の<場>としての渋谷」は、都市論、消費社会、サブ/カウンターカルチャー、シュミラークルを用いて、セゾングループを概括するには有用であった。大学時代に訳もわからないまま読んだボードリヤールなども登場して、個人的には懐かしい思いもした。

あと、自らの不明を恥じ入るばかりだが、「下流社会」や「ファスト風土」などの名付け親である三浦展が、昭和57年(1982年)にパルコに入社し、その後、およそ8年間セゾングループで働いていたとは、大いなる発見であった。三浦は、「消費の超克-堤清二と増田通二の街づくりをめぐって」において、「80年代、セゾン、パルコ、バブル、消費をまとめてしまうのは非常に危うい」(PP138)とし、「60年代に拡大した(起源としては戦前にもあると思いますが)人間回復の思想を形を変えながらも模索していたのが、セゾン、パルコだったと思います」と述べ、セゾングループに「人間回復の思想」を見出している。この指摘はセゾングループ全体への言及であるが、清二に対する評価でもあると思う。ここでいう「人間回復」は、表層的には、消費社会によるコミュニティや文化、家族などの消滅による人間性の喪失に対する人間回復だと考えられるが、もう少し踏み込んで考えるならば、デオドラントされた人間性を否定し、矛盾を抱える存在である人間性や予定調和ではない人間性を受容し、取り戻すことを意味するのだと思う。

「人間回復」の「人間」の部分を、「都市」や「店舗」、「商品」などに置き換えることも思考実験としては面白い。つまり、80年代にはすでに社会問題として顕在化しつつあった都市の均質化や流通業界の店舗や商品の均質化により、そこには本来人間が抱える矛盾や非予定調和が抑圧されているかもしれないということを考えなければならない。目標となるモデルを見つけ、それを模倣することに血眼になることを排除はしないが、その一連の行動が、結果的に物事を均質化していくことにつながり、人間性の否定に結実すると、清二は考えたとするのは、小生の思い上がりだろうか?