石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『吹部!』

昨日19日(日)は父の日だった。

イクメンなどという up to date 感漂う代物とは対極的な日々を過ごしている小生などは、ただただ肩身の狭い一日であるが、夕食後に娘から一冊の文庫本をプレゼントされた。

赤澤竜也(2016)『吹部!』(角川文庫)である。

彼女曰く「娘が二人とも吹奏学部なんだから、少しは勉強をしなさい」ということである。確かに伏線はあった。娘が打楽器に取り組んでいると思っていたら、ユーフォニウムで、しかもチューバとの区別がつかなかったトンチンカンな小生への教育的指導である(笑)

これは、『吹部!』という題名の通り、吹奏楽部を舞台とした学園モノの小説である。学園モノというか、中高生年代を舞台とした小説といえば、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』(新潮文庫)が最高傑作の一つだと思う。当然のことながら、その最高傑作には及ばないものの、物語の展開のテンポの良さと複雑にならない程度の視点の使分けが評価できる作品であった。

イメージ 1

吹奏楽部の練習時間を確保するために、完全下校が午後6時30分というルールを校長と談判して特別に変更させたり、主人公である鏑木沙耶の発言をでっち上げてでも人を巻き込んでいく顧問のミタセンの行動は、万事の責任追及から組織防衛を図るためにすべてを明文化し、ルール化することで逆に組織の硬直化を招いてしまっている現代社会の組織の宿痾を浮き彫りにしている。ただ、小生がこのミタセンの行動を気に入っているのは、ミタセンが組織のルールや硬直性に抵抗しているのではなく、自らの嗜好に素直に従って行動しているという点である。そういう意味では、紋切り型の反体制的行動ではなく、どちらかというと伊藤野枝的なアナキストの立ち位置に近いものと言える。

顧問のミタセン以外にも、吹奏楽部の部員として多くの生徒が登場人物として描かれるが、その誰もが学校はもとより家庭での人間関係に思い悩み、加えて大人になる前であっても家計などの家庭の状況に気を使いながら行動していることに注目すべきである。また、どの家庭も両親と二人の子どもで、父親が働き、母親が専業主婦もしくはパート労働者といった典型的な核家族ではなく、それぞれが自分の置かれた環境で喜びを感じ、哀しみながら生活をしていることが、現代社会のリアリティを作者が意図的に切り取っていると感じた。その積み上げゆえに、物語の後半は、ストレートな感動を味わうことができた。

「ミタセンの右手が上がり、全員が楽器を構える。
 クラリネットとフルートの木管から優しく入る滑り出しは上々だ。
 そこに西大寺オーボエがからむ。アイツ、いつの間にこんな深い音色をだせるようになったんだろう。一段と腕を上げていやがる。よーし、わたしだって負けちゃいない。受けて立つわよ。
 オーボエを受けたサックスの見せ場では大磯渚のツインテールが激しく揺れる。
 渚も乗りに乗っている。
 さあて、わたしは吹奏楽部の低音女子。
 チューバ吹きにてござりやす。
 そして今日はひとりじゃない。自己主張しがちなトランペットよ、孤高なオーボエよ、気品を誇るフルートよ。その隙間をわたしが埋めてやる。低音でひとつにつないでやる。
 みんな暴れても大丈夫。
 底の底から支えてあげる。わたしがみんなを包み込む。
 狂おしい情熱を感じながら息を吹き入れた。
 そして曲は表情を一転させる。
 榊甚太郎のスネアが不穏な動きを予感させる。
 だんだん真帆のソロが近づいてきた。そこではかなりのハイトーンをひとりで吹ききらなければならない。
 いよいよだ。がんばれ。心のなかから声を送り続けた。
 風雲急を告げるトランペットが闇夜に鳴り響く。
 でた。見事にでた。
 続くソロパートも寸分の狂いなく奏でられる。
 乗り切った。真帆やったよ。心のなかで何回もガッツポーズをする。
 不協和音がとどろいて、暗い景色の道をさまよい歩く。
 やがて混沌から歓喜の祝祭へと展開する場面になった。
 すべてのパートが炸裂する。
 あっ、ミタセンが飛んだ。
 トランペットが高らかに攻める、トロンボーンが続く。
 またしてもミタセンが飛んだ。
 みんな唖然としながら手を休めない。
 わたしは五臓六腑からすべての息を集めてマウスピースに注ぎ込む。
 わがチューバよ、ドンちゃんよ。はらわたの熱気で溶けるなよ。
 ミタセンはわたしたちにすべてを投げ出している。わたしたちのすべてを信じてる。
 ああ、終わっちゃう、終わっちゃう。
 音が溶けてく、ひとつに溶けてく、わたしたちはひとつになる。
 とても心地よい境地へ。
 終わったあとの残響。
 一瞬の沈黙。
 遠くの方から耳に届く拍手によって、ようやくわれに返る。
 全員がスクッと立ち上がり、ミタセンは思いっきり頭を下げた。
 からだの震えがとまらない。」(PP246-249)

臨場感が溢れるクライマックスに、楽器を通じた人間関係が描写されている。娘の宿題は、この部分を感じることだったのだろうか?娘の「吹部」にはどんな人間関係があり、それを元にしたどんな調和した音が醸し出されるのだろうか?そんなことを考えながら、過ごしたおよそ3時間だった。