石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

二つの東海道五拾三次

10日(金)に パラミタミュージアム で開催された 歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版 のオープニングレセプションに足を運びました。

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歌川広重は生涯に20数種類の東海道五拾三次を制作したと言われていますが、それぞれのシリーズが完全な形で残っているのは少ないと言われています。我々が最も慣れ親しんでいる広重の東海道五拾三次は、1833年に完成した保永堂版です。その保永堂版であっても初摺りと後摺りがあり、作品に描かれている人の数や木の本数が異なったりしています。

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                                 【初摺り】

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                                 【後摺り】

また、作品内の対象物の数だけでなく、表現上の違いもあります。

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                                 【初摺り】

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                                 【後摺り】

今回の展覧会では、保永堂版の摺りの違いではなく(今回の保永堂版は初摺りで統一されていると思います)、保永堂版の約15年後に制作された丸清堂版(題名が隷書体で書かれていることから「隷書版」とも言われています。保永堂版と丸清版の間には、行書版も出版されています)とを比較鑑賞する展覧会となっています。一般的に知られているのは、保永堂版の五拾三次ですし、風景画としてのクオリティも保永堂版が上だと思いますが、人の表情や対象物の動きに味があるのは、丸清版に惹かれれる作品が多くあります。逆に申し上げると、丸清版の全作品を拝見出来るのは貴重なことだと感じました。

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十返舎一九の『東海道中膝栗毛』などにより、当時の人々は旅をすること、特に東海道などの街道を旅することに憧れがありました。そのことと印刷技術の向上により、広重の五拾三次は爆発的な売り上げとなったと言われています。また、丸清版の売り出された数年後の1853年には、ペリーが浦賀に来航しています。ペリーを横目に、広重の作品を楽しんでいる当時の日本人は、相当粋な人たちであったと思います。

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広重が東海道を江戸から京都までえ旅したのは、7月でしたので、雪景色は創作ですが、広重の東海道五拾三次の三大傑作と言われているのは、保永堂版の蒲原、庄野、亀山で、二つが雪景色というのは、興味深い点です。

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いつもながら、交通費を支払わずに菰野町でこのような素晴らしい展覧会を鑑賞出来ることは、至福のことだと思います。3月28日(火)までの開催となっていますので、足を運んで下さい。