「空気」や「場の雰囲気」の力
無観客と言えば、時間があったので作業をしながら、「R1グランプリ」をリアルタイムで見た。
インターネット上でも話題になっているが、まず第一に、出場者の芸人がやりにくそうだった。特に、開始早々のAブロックは、観客の反応が無いことに相当な戸惑い、というか、ウケているのか、ウケていないのかが分からない状況に混乱しているようであった。
出場者をはじめ、審査員や番組スタッフも、空気とか、場の雰囲気というものの力を痛感したのではないかと思うし、視聴者である小生も再認識させられた。
空気とか、場の雰囲気というと、山本七平(1977)『「空気」の研究』もとより、社会学や心理学などの学術的研究対象にもなっているし、昨今でも「KY(=空気読めない)」や「同調圧力」などでも、実体験として大衆化もしている。日本社会におけるある種否定的側面ばかりが注目される「空気」や「場の雰囲気」だが、無ければ無いで、戸惑いや困惑などの混乱を引き起こす。
そもそもこの混乱を誘発する感情が、「空気」や「場の雰囲気」の根幹をなす訳だから、人間の心理的相互作用の大きさには意識的にならなければならない。それが、「インフォデミック」や「予言の自己成就」、「多元的無知」などに繋がり、はたまた、政治的行動にも直結する可能性は否定出来ない。
ただ、ここでこのことを記述しても、「空気」や「場の雰囲気」の前では、無力であることは経験則的に自覚しているつもりである(笑)