石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

無観客と「四人場」

先日の拙ブログで、大相撲の無観客と吊り屋根について触れた。

 

その後、相撲好きの知り合いから、「吊り屋根の歴史は知らんだわぁ〜」とわざわざ電話をもらった。別の友人からは「『ああ播磨灘』のあの場面を記憶しているって、相当、マニアックやな(笑)」と称賛1割、皮肉9割のツッコミをもらった。

 

ともあれ、ブログを読んでもらっているのは有難い限り。

 

相撲と観客で思い出すことに、大学及び大学院時代の恩師である日比裕先生が、麻雀を囲んだ際に口にしていた「四人場」という考え方がある。相撲は勝負だから、自分(一人称)がいて、相手(二人称)がいなければならない。加えて、それだけではなく、勝負を判定する行司(三人称)も必要である。しかし、さらに、それを見ている観客がいなければ、場として成立しないと言うのである。

 

小生は、授業研究という研究領域の末席の補助席みたいな場所にいる。授業でなくとも日常会話やコミュニケーションには、相手と進行役に加え、聴衆が必要なことを痛感する場面によく遭遇する。今回の新型コロナウイルス感染症の対応で、無観客という判断を下しているイベントが散見されるが、良否の問題でなく、単純に「四人場」をどう考えているのか知りたいものである。