石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

生島淳、熱いよね(その1)

過日、スポーツライター(と言っても最近では、歌舞伎やテレビ番組についても執筆されているようですが)の 生島淳 さんとお会いしました。2時間ぐらい隣の席でご一緒したのですが、片岡愛之助さんの物まねの勘所を教えて頂いたり(ドラマ「半沢直樹」の黒崎検査官役のセリフの「金融庁」のポイントは、出だしの「き」を高音で発しながら少し伸ばすということなど)、朝の連ドラ「あまちゃん」のマニアックなシーンとセリフをどれくらい知っているかなどを語り合いました。小生も相当マニアックだと思いますが、生島さんはそれ以上で、かなり勉強になりました(笑)

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ということで、それ以降、生島さんの著作を拝読しました。

まずは『スポーツルールはなぜ不公平か』(生島淳(2003)新潮選書)
スポーツ、特に国際舞台でのスポーツのことをご存じの方であれば、オリンピックや世界大会でのルールが日々変更され、その変更によって有利になる選手やチームが存在することは当然として受け止められていますが、本来、公平や公正、透明などの言葉が類推されるべき「ルール」というものを「不公平」という(ある種不穏当な)言葉とともに語ろうとするところにこの著作のタイトルの悪魔の囁きがあるといってもいいでしょう。

なぜならば、確かにこの本のつかみと著者の問題意識は、「水泳のバサロ泳法の禁止」(1988年のソウルオリンピック男子背泳ぎで金メダルを獲得した鈴木大地選手のスタートから30メートルまでのバサロ泳法に対して、1989年から国際水泳連盟がバサロスタートを15メートル以内に制限するルール変更を行ったこと)やノルディックスキー競技におけるジャンプと距離の得点配分の変更とジャンプ競技におけるスキー板の制限」(1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルのそれぞれオリンピックにおいて、ノルディックスキーの複合団体で日本チームが連覇を果たすと、日本が得意であったジャンプの得点価値を引き下げたこと。1998年の長野オリンピックにおいてスキージャンプ団体競技で日本チームが優勝すると、その年の夏からスキー板の長さが身長の146%に制限されたこと)に存在すると思われるので、ルールの不公平感を示すタイトルは分かりやすいものとなっていますが、実際に読み進めると、そもそもなぜルールが必要で、それが近代スポーツの発展にいかに寄与して来たかを知る有用な著作であることに気付かされます。

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サッカーの起源は中世から地方の農村や町で行われていたフォークゲームと言われており、町全体を競技場に見立ててフットボールを楽しむお祭りのようなものでした。その後、都市部に伝播し、イギリスのパブリックスクールで「校庭のフットボール」が盛んになりました。この「校庭のフットボール」は、その名の通り、校庭の状態や学校の伝統、時代の流行などの影響を受けて、学校ごとに特色あるフットボールへ発展しました。つまり、各学校の事情に合わせたローカルルールによって競技が行われていったということになります。ローカルルールは、地域限定で競技を実施していくのであれば、問題はありませんが、パブリックスクールからオックスフォード大学やケンブリッジ大学に進学した後に、フットボールを楽しもうにも、ルールが違い過ぎるためにプレーができないという事情が生まれました。そこで、パブリックスクールごとの代表者が選出され、ケンブリッジ大学で統一ルールづくりが始まり、1863年に策定されました。

このような歴史を拝見すると、ルールが必要に応じて策定されたと理解できる訳ですが、近代から現代へと発展を遂げたスポーツが既に存在している我々にとっては、特に基本的なルールがあり、その枠内でプレーをすることを経験してきた者からすると、なかなか興味深いことだと思います。併せて、スポーツといえども、近代以降の先人たちの苦労や工夫、叡智の恩恵を現代の我々がいかに受けているかを窺い知ることができ、改めてその歴史に対して敬意を払わなければならないと痛感します。

著作の前半は、サッカーやラグビーのルールに焦点を当てながら、そのスポーツそのものの成立過程を概観できるようになっていますが、さらに、商業主義によるスポーツのルール変更という純粋にスポーツを愛する人間(小生なりには純粋主義としますが)からは倦厭されるべき問題についても、具体的な事例に基づいて、商業主義と純粋主義の双方から中立的視点で話が進められています。

ここでの商業主義というのは、興行化したオリンピックとそれに付随したテレビ放映を前提としたスポーツのあり方を意味するものであり、そのためのルール変更を指します。例えば、2001年に国際卓球連盟が行った21点制から11点制へのルール改正です。それとともに、5ゲームマッチが7ゲームもしくは9ゲームマッチに、3ゲームマッチが5ゲームマッチに変わりました。この変更の肝は、1ゲームを11点制にすることによりスピーディな試合への転換を図ること(見るものを飽きさせないというある種の大衆化)とゲーム数の増加でゲーム間の休憩を増加させること(ゲームの間にテレビコマーシャルが挿入可能)でした。小生にとっては「恐るべし、商業主義」ともいうべき所業です。確かにスポーツの大衆化は必要なことかも知れませんが、勝負の駆け引きや心理的要素も含む戦術や作戦などの試合の流れを極小化させ、目に見えるもの分かりやすいもののみを追い求め、その先にある勝敗結果を極大化させることは、却って、玄人好みのスポーツの醍醐味を色あせたものにするとも言えます。

さらにもう一つ商業化の影響を受けたルール変更がラグビーにもあります。ラグビーというスポーツは、19世紀イギリスのミドルクラスの正義感や男らしさを追い求めていたことから、1968年まで国際試合では、一切の選手交代が認められていませんでした。あれだけの激しいスポーツにも関わらず、ほんの50年ぐらい前までは負傷したとしても選手交代がなかったとは、小生も驚きを禁じえませんでしたし、フィールドに立つこと自体に相当な誇りがあったと考えられます。負傷交代を認めた後、しばらくはそのままでしたが、1995年に国際試合で戦術的な入れ替えが可能になりました(小学生時代から戦術的交代が可能な競技であったサッカーをしていた小生にとって、20年ほど前まで戦術的な選手交代が認められていなかったことも意外でした)。このことは、試合の終盤に体力的なパフォーマンスが落ちることによって、プレーのレベルが下がり、観衆を魅了する試合にならないことを防ぐために講じられたルール変更でした。終盤の選手交代によって、体力のある選手がフィールドに入り、試合の質が維持されることは、重要なことだと思いますが、これも商業主義の一端であることを忘れてはならないと思います。

他にも、ラグビーの「トライ」の語源やマイケル・ジョーダン引退試合の真相、アメリカンフットボールの「ツー・プラトーン・システム」、野球のDH制などなどスポーツの豆知識満載で大変楽しく読むことができます。

それらすべてを紹介すると生島さんに怒られますし、ネタバレを引き起こしますので、この辺に致しますが、どうしても特筆しておきたいことがあります。それは、1996年1月初場所貴闘力土佐ノ海との一番で、貴ノ浪が物言いをつけたことで有名となったらしいですが、大相撲の 審判規則 の控え力士の第5条に「控え力士は、勝負判定に異議ある場合は、物言をつけることができる」とあり、勝敗の決定権はない(同第6条)ものの、行司や審判委員以外に、しかもたまりにいる 控え力士 が勝負を左右する権利を有していることでした。日本の伝統も奥が深い!!

スポーツ観戦が好きな方にとっては、必読図書ともいうべき著作であり、また、スポーツ好きな友人などとの会話のネタには事欠かないエピソード満載ですので、ぜひ手にとって頂きたいと思います。

浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』も読了しておりますので、近々、生島淳さん第2弾ということでご紹介したいと思います。