石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「祈念」でも、「意志」でもなかった

完全なる言い訳ですが(笑)、ラジオ番組の立ち上げや学会発表の準備などでバタバタしており、7月のブログが滞っておりました。

昨日8月6日(木)は、広島の平和記念式典が行われました。恥ずかしながら、これまでこの式典を「平和祈念式典」と勘違いしておりました。「記念」はおめでたい時に使われる言葉との印象がありますが、「過去のことに思いを致す」などの意味がありますので、平和記念式典でも問題はありません。しかし、自分の思い込みというのは、なかなか根深いものだと感じました。

毎年、児童生徒の代表による「平和への誓い」が朗読されます。今年の誓いの中に、重要なフレーズと思われる「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です」という箇所があります。朗読者の強い思いが表現された部分だと思いますので、「意志」だと感じたのですが、より中立的な「意思」が用いられていました。

英語にするとwill と intention の違いですから、個人を超えた社会の「意思」(intention)と解釈するべきということでしょうか。

あと、無関係ですが、「環境破壊は人類を滅亡させる犯罪行為である」と声高に叫んでいるグレタ・トゥンベリさんが核兵器のことについてどのような見解を持っているのかを知りたくなりました。