石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

暗黙のプレッシャー?

22日(木)の午前中、断続的な協議や報告の合間に、以前からの宿題であった橋名板の原字を書き上げました。

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昨年度から町内にある老朽化した「椋ノ木橋」の架替事業を実施しており、いよいよ来年2月に完成の運びとなりました。そこで、都市整備課から2ヶ月前ぐらいに、橋や河川の名称や完成年月を記して欲しいと依頼されていましたが、締め切りギリギリになってようやく重い腰をあげました。

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実際には、昨日1時間ぐらい練習をして、今日完成をさせました(幼少時には字は習ったことはなく、町長に就任してから我流でやってます)。

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この筆跡が、少なくとも今後50年ぐらい、小生の死後も残ると思います。そう考えると拙い字で申し訳ない気持ちでいっぱいですが、これもお仕事ということで、ご理解下さい(知人の中には、新築宅の表札を小生に依頼したつわものもいますが(笑))。

11:30過ぎに、名古屋大学名誉教授の日比裕先生(写真中央)が、名城大学准教授の平山先生と共にご来庁されました。

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日比先生は、小生の恩師であり、仲人でもあります。
大学・大学院時代のゼミでは、毎週レポートを一言一句、言い回しも含めてチェックして頂きました。
誤字脱字には厳しく、「石原君、もっと丁寧にやりなさい」とよくご指導頂きました。また、学究の道から政治の道に変更する時、ご報告に伺った際には怒られると思っていたのですが、「まぁ、社会勉強のつもりでやりなさい」とか、「民間企業で言うと出向みたいなもんだな」などと冗談とも本気とも取れないような温かい声をかけて頂きました。そういう意味では度量の大きな人物です。

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2年ぶりの再会でしたが、今回は、研究者として所有されている貴重な資料を届けて頂きました(絶版になった4冊揃で5万円ぐらいするものもありました)。
先生自身は何も仰られませんでしたが、ひょっとすると「もう少し教育関係の研究をしろ!」という暗黙のプレッシャーをかけにきたのかもしれません(怖くて意図は聴けませんでしたが(笑))

別れ際に「暖かくなったら、湯の山温泉に泊まりにくるから」と仰ってました。
いずれにしましても、遠方から足をお運び頂きありがとうございました。

その後、14:00からの「第12回 鈴鹿F1日本グランプリ地域活性化協議会」に出席のため、鈴鹿市役所に向かいました。なんとなくですが、モータースポーツも厳しい時代になりつつあるので、多面的総合的に検討を加える時期に来ているのだと感じました。