鈴木小舟の数奇な運命
幕末期に菰野で生まれた鈴木小舟は、幼少期に父と離散し、母と弟と四日市市の親戚宅に身を寄せ、お世話になっていました。その後、横浜で両替商となった父と母、弟ともに生活を始め、外国人との交渉のための通訳の仕事などに就きました。結婚、夫との死別を経た後、菰野町に戻って、和歌の道に励んでいました。そんな折、皇后陛下が伊勢神宮を参拝なさり、三重県下の同人とともに和歌を詠進しました。
管見の限り、民間では初めての御歌道御用皇后宮職だということで、鈴木小舟の数奇な運命を象徴しています。今回の展示は、幼少期に身を寄せていた親戚宅の解体作業中に、手紙や短歌が数多く発見されたことに伴って開催されました。歴史的には価値のある資料ですので、皆さんもぜひご覧ください。
年末になるとたくさんカレンダーを頂戴します。そんな中、中部電力 さんの来年のカレンダーに興味を惹かれました。
2001年に障がい者の新たな職場開拓のために設立された 中電ウイング さんのオリジナルカレンダーでした。生まれつき両腕の無い方が、足で筆を取って書かれた見事な書と温かなデザインが素晴らしいカレンダーです。