石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

トモダチ作戦 (『カウントダウン・メルトダウン』その3)


その1では、ベントの遅れの原因と3月12日早朝の菅総理の現地視察にあると巷間まことしやかに関連付けられていますが、間接的には影響(福島第一原子力発電所の吉田所長の作業を中断させたこと)を及ぼしたものの、
(1)手作業でのベントの作業工程に予想以上に手間取ったこと
(2)ベントの対象を1号機にするのか2号機にするのか情報が錯綜していたこと
(3)10km圏内の住民避難の確認に手間取ったこと
などが直接的にあることを指摘しました(ただし、災害対策において最も責任のある人間が現地行くことは言語道断であり、暴挙の誹りは免れないことも小生は指摘しています)。

また、その2では、原子力発電所が制御不能となる中で、15日の未明から朝にかけて東京電力が撤退を検討し始めたものの、政府が独立国の矜持をもって不退転の決意で東電と統合対策本部を立ち上げた過程を記しました。危機的状況の中で、自衛隊のヘリコプターによる空からの放水作業が、象徴的であったとはいえ、いかに重要であり、局面を打開していく推進力になったかを指摘もしました。

さて、今回は東日本大震災特に原子力発電所の事故と日米関係に焦点を当ててみたいと思います。

いわゆる トモダチ作戦 です。
この作戦は、在日米軍司令部によれば、3月11日夜、松本外務大臣からルース駐日米国大使に対し、在日米軍による支援を正式に要請された時点から始まっており、米軍は、人員約24,500名、艦船24隻、航空機189機を投入(最大時)した大規模な活動のことです。ただ、このトモダチ作戦も発災直後の原発事故に関しては、相当な混乱がありました。

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東日本大震災発災後における米国の重要と思われる活動を時系列で追ってみます。

3/11(金)14:45    ホワイトハウス国家安全保障会議NSC)のシチュエーション・ルームから関係者に電話連絡(発災の1分前の記録となっているが、本書でそう記述されているのでそれに従った)。
  同    16:15    ルース駐日大使から日本政府へのメッセージ。
  同    20:25    ルース駐日大使から松本外相に電話。
  同    22:00    オバマ大統領が日本への最大限の援助を指示。

3/12(土)00:15    菅総理オバマ大統領の電話会談(約10分間)。

3/13(日) 朝      空母ロナルド・レーガン三陸沖に到着。
  同    11:30    ルース駐日大使から枝野官房長官に電話。「震災被害及び原発事故の正確なデータを要請」

3/14(月) 早朝     米海軍横須賀基地にてスーツケースを持った多数の人の行列を目撃。
  同    23:00    枝野官房長官からルース駐日大使に電話。「官邸5F総理執務室に米国サイドの常駐を要請されるも拒否」

3/15(火)06:10    2号機に衝撃音。4号の爆発。
  同    07:00    空母ロナルド・レーガン放射線センサーが反応し、三陸沖から離脱。
  同     朝      米海軍横須賀基地にて屋内退避の喚起。

3/16(水) 午前    福山官房副長官からルース駐日大使に電話。「官邸B1連絡室に米国サイドの常駐を了承を伝達」
  同    19:50   松本外相からルース駐日大使に電話。「本日中に原発に水を注入しなければ、日本は対応に失敗したとみなす」(米国からの通告)
  同    22:00   藤崎駐米大使がキャンベル国務次官補と面会。「政府一丸となって取り組むことが必要。軍が命を懸けるしかない」(米国からの通告)

3/17(木)10:22   菅総理オバマ大統領の電話会談(約30分間)

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発災直後から米国は最大限の支援をしようとメッセージを送っていますが、原発事故によってそれが一転することとなりました。特に、15日(火)の2号機と4号機の事故によって、それが最高潮となり、ロナルド・レーガン三陸沖から離脱し、米軍横須賀基地の軍人家族には屋内退避の注意が喚起されました。と同時に米国大使館でも大使館員の家族などが放射能の影響を懸念し、日本からの退去を模索していました。しかしながら、米軍人が撤退となれば、日米同盟に重大な影響を及ぼすことになりかねないため、米政府職員の家族の「自主的退避」という形が取られました。

ここで指摘出来ることは、米国が日米同盟にいかに配慮していたかということです。確かに、ロナルド・レーガン三陸沖から離脱し、21日には横須賀基地で停泊していたジョージ・ワシントン東シナ海に向けて出港しましたが、それは放射能汚染された空母は使い物にならず、全世界の安全保障に深刻な影響を及ぼすためです。

そのような特殊事情はあったものの、日米政府は、日米統合運用調整所を設置し、本格的な共同作戦を展開しました。しかし、そこには「主権国家としての日本の存在意義は何なのか?」という極めて大きな問題が横たわっていました。特に、16日の夕方に自衛隊が放水作戦を断念したのちには、官邸などから「米国に全部任せた方がいいのではないか」という声が存在したようですが、折木統合幕僚長菅首相の前で「米国に占領軍と同じことをさせてはなりません」「指揮権を米側に渡すというのは甘受できません」ときっぱりと言い切りました。このことは、いかに日米安全保障条約が有効であり、トモダチ作戦なる共同作戦が展開されようとも、独立国家としての矜持を示さなくては、主権国家とは言えないということを端的に示している場面だと言えます。

仮に、力の差があったとしても、トモダチは精神的に対等であって初めてトモダチ関係を保つことが出来ます。
本書でも、ある海上自衛隊将校が述懐したド・ゴールの「同盟国は助けてはくれるが、運命をともにはしてくれない」という言葉が引用されていました。そして、その将校は、「自分がまず、最初にリスクを負ってやらないと、同盟の相手国は決して、やってくれない。自らを助けることができない国は助けない」とも言いました。

トモダチ作戦によって日本は米国から多大なる支援を受けたことは確かですし、日本をこれほど支援してくれる同盟国は世界のどこにもないと考えられますが、原発事故のような危機的状況は、日米同盟に過度に依存してきた我々に独立国とは何かを知らしめたとも言えるでしょう。

まさに Heaven helps those who help themselves.