石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『昭和キャバレー秘史』

過日、知人から「町長の関心の分野かと思って」ということで、福富太郎(1994)『昭和キャバレー秘史』(河出書房)を頂戴した。

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福富太郎(本名は、中村勇志智)は、別名キャバレー太郎と呼ばれ、日本特に東京のキャバレー界の生き字引的存在である。また、日本画の蒐集家としても有名であり、審美眼も相当なものである。町内にある パラミタミュージアム でも、鏑木清方を中心とした福富太郎コレクションが開催されたこともあり、その際、実物の福富を拝見し、迫力というか、ある種のオーラに感動したことを記憶している。

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閑話休題
さて、この『昭和キャバレー秘史』は、キャバレーのルーツとされるカフェの誕生からサービスの発展などの歴史を経て、昭和7年に榎本正が、大阪の「赤玉」を自らキャバレーと名乗ったのが日本初のキャバレーと規定し、その後の歴史が、福富自身の半生とともに語られている。

福富は、昭和天皇による終戦詔書を中学校2年生の夏に聴き、その後、母校の農学校のサツマイモを芋あんに仕立てて、販売した。16歳の時に、パン屋の求人広告を見て、お店を訪ねるもすでに決まっており、就職出来ず、結局、銀座の喫茶店「ニューギンザ・ティールーム」で働き始める。二ヶ月後、浅草支店に配属となるも、蔡世金という料理人が経営する隣の中華料理屋に引き抜かれる。その後、ダンスホールのボーイを経て、キャバレーのボーイとなり、そこの社長であり、師であり、恩人である毛利喜八(馬主で有名)に引き立てられる。昭和32年11月に「巴里の酒場」という店を出し、独立した(当時の名前は、近衛千代麿)。以後、売上げ日本一、納税額日本一というキャバレー界のみならず、時代の寵児となったことは広く知られている。

この著書では、当然のごとくキャバレーの歴史が語られている訳だが、そこに描かれている生々しい昭和の風俗史が、一つの特色となっているし、最も面白かった部分である。加えて、小生の興味を引いたのは、昨年12月に逝去した安藤昇(もともと暴力団であるが、後に俳優などに転身/「文藝春秋 2016年3月号」の蓋棺録に半生が記載されている)の安藤組に関わる記述で、かの有名な花形敬も登場していること(ロシア人のトムに斬り付けられ、その後反撃した事件)であった。花形敬といえば、東声会とのトラブルがもととなり、刺客に命を奪われた「花形敬刺殺事件」が有名であり、映画化もされている任侠会の伝説的な存在でもある。

ホステスのために日本で初めて託児所付きのキャバレーを創設(元祖「イクボス」というと、今の薄っぺらい「イクボス」と比較するようで、福富に失礼ではあるが)したり、永井荷風と関根歌の関係から和倉温泉の加賀屋とも縁があることなど、福富の人物の奥深さについては、機会があれば、別途、取り上げてみたい。