石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『聞き書 南原繁回顧録』

去る8月8日(月)に今上天皇が、「お気持ち」という形で象徴天皇の職務遂行に関する懸念を仰せになられた。これを受け、マスコミ報道を含めて巷では、「生前退位」の議論が活発になされている。

天皇陛下の仰せられた言葉に解釈を施し、あれやこれやと喧伝することは、不敬とまでは言わずとも、少々道理の分かった大人であれば、憚られるものである。この度の陛下の「お気持ち」の全文を拝読すれば一目瞭然であるが、政治的発言を控えるために、表現に相当な配慮を加えられ、国民にどうして欲しいという投げかけではなく、まさに自らに課せられた責務と現状についてご自身の「お気持ち」を述べられ、最後にその責務と現状を理解して欲しいと仰っている。これを素直に読めば、一定の考えを示されつつも国事行為を含む皇室制度のあり方について、国民に理解を求められたことは明らかである。

このような中、昨年インターネット経由で入手し、斜めに読んで放ったらかしにしてあった『聞き書 南原繁回顧録』(丸山眞男福田歓一 編(1989)東京大学出版会)を読み進めた。なぜなら、昭和22年に成立した「皇室典範」の国会審議の際に、皇位継承の「退位ないしは譲位」(PP347)について政府に質問をしたのが、南原繁であったからである(第91回帝国議会貴族院議事録参照。「生前退位」についての主な質問者は、佐々木惣一もいる)。

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南原繁と言えば、当時首相であった吉田茂の単独講話論に対して、全面講和論を展開し、「曲学阿世の徒」と批判されたことが有名であるが、憲法第9条に関しても、自衛権の放棄に反対をし、国会で「一兵も持たない完全な武装放棄ということは日本が本当に考ええたものかどうか、ということを質問」(PP350)した(ここの引用で「考えた」ではなく、「考ええた」となっている辺りは、米国の影響を示唆している)。このように自国の独立に関わることは、南原が戦後初めての「紀元節」(昭和21年2月11日)に、東京大学安田講堂で行った有名な「新日本文化の創造」と題した講演の中で、「今や日本は、日本神学と超国家主義との倒壊とともに、滔々たる功利主義アメリカニズムと、無神論的唯物思想におおわれつつある」(PP311)との考えを述べ、米国とソ連に対抗するべく日本の独自性を保持しなければならないと強調したことに通ずるものがあるが、この辺りのことについては、別の機会に譲りたい。

閑話休題
南原が皇室典範に「退位もしくは譲位」規定を設けることにこだわったのは、終戦工作に関わったこと(PP269)に起因していると思われる。

偶然にも南原は、昭和20年3月9日、つまり東京大空襲の前日に、それまで固辞していた東京大学法学部長を引き受ける。それまでも個人的に情報収集をして終戦に向けた情勢分析や研究を行っていたが、学部長就任を機にあくまでも同志という形(東大法学部という組織としての行動となると、後々に大学全体に責が及ぶことを避けたのだろう)ではあったが、法学部の教授である高木八尺、田中耕太郎、末信三次、我妻栄、岡義武、鈴木武雄と南原の7人で終戦工作に動き始めた(といっても、7人で集まると目立つため、その都度数人で情報を取り合うことが常であった)。この当時、南原は、近衛文麿若槻礼次郎、石黒忠篤、東郷茂徳木戸幸一宇垣一成などと接触していることからも、単なる学問的研究ではなく、日本の未来を本気で考えての行動であったことが窺える。

一連の動きの中で、南原らは具体的に五つの内容について、各方面に働きかけていた。
1)終戦の時期:ドイツの降伏後かつ予想される米国の沖縄上陸作戦前
2)終戦の連絡方法:米国との直接のやり取り
3)終戦への方法:海軍と陸軍を分離し、海軍主導
4)終戦の条件:無条件降伏
5)終戦の形式:天皇陛下の裁断つまり詔勅

この終戦工作については、南原自身は永久に秘密にしようと考えていたが、終戦後、『東郷日記』や『木戸幸一日記』の公刊により、世に出てしまったため、自らの口で真実を明らかにすることとなった。

このことに関わっては、戦後初の「天長節」(昭和21年4月29日)に行った南原の講演も忘れてはならない。極東裁判を目前にし、「天皇が法律上・政治上、戦争について何の責任もないこと」(PP314)つまり「天皇が一貫していかに立憲的にふるまってきたか」(同前)を指摘した上で、それでもなお、「道徳的・精神的な責任」(同前)は残り、そのことこそが、「日本再建の根本的基礎」(同前)と南原は主張するのである。天皇制そのものは擁護しつつも、天皇陛下の道徳的・精神的な責任を問うことが、「退位もしくは譲位」と深く絡んで来る。冒頭述べたように、小生は、天皇陛下の心情を忖度することは極力避けるべきであると考えているので、その立場からすると若干整理が必要であるが、南原は「退位」に関して、終戦間際に天皇陛下が発せられたと言われる「たとい朕の一身はいかにあろうとも・・・」という発言を元に、「私には天皇御自身が道徳的・精神的な責任を感じられているのだろうという推測があった」(同前)と述べている。

現在議論されている「生前退位」とは、その時代背景が全く異なっているし、「生前退位」を規定することによる象徴天皇の政治利用の可能性の有無も指摘されているとはいえ、これらの歴史的経緯を踏まえて、今後、我々は憲法及び皇室典範のあり方を考えなければならないのは自明の理である。