石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『誘拐』

吉展ちゃん事件と聞いて何人が、同時代性をもって記憶を蘇らせることが可能だろうか?

事件発生が、「初めての」東京オリンピックの前年である昭和38年(1963年)3月であるから、自らの記憶としてその事件が刻まれているのは、現時点で60歳以上の年代に相当するのだろう。もちろん、昭和46年生まれの小生には、本事件は日本の刑事事件史の一つとして、言ってみれば歴史の一部として記憶されている。

本事件は、報道機関と警察の報道協定が初めて結ばれたことや電話の逆探知が導入されたこと(PP50、PP202)に加え、「三億円事件」(昭和43年発生)や「帝銀事件」(昭和23年発生)の捜査に重要な役割を果たした平塚八兵衛が、マスコミなどで取り上げられ、その度に本事件に触れられることが我々世代の記憶に残っている一因だと思われる。

イメージ 1

さて、その吉展ちゃん事件を取り扱った 『誘拐』(本田靖春(2005)ちくま文庫 を手に取った。以前、以前の拙ブログ で取り上げた『疵』(本田靖春(1987)文春文庫)と同じ作者でもあったが、さすが、昭和52年の文藝春秋読者賞講談社出版文化賞を受賞したノンフィクション性の極めて高い作品であった。

結論から言うなら、本書の特徴は2点。
一つは、組織捜査の宿痾とも言うべき杜撰さや捜査本部の方針とは異なる事実の排除の積み重ねが、間違った結論を導き出すということを示したことである。
二つは、犯人の生い立ちや生育、当時の時代背景を読み解くことで、被害者と加害者という単純な二分法的見方ではなく、事件を複眼的複層的に見直す機会を与えていることである。

前者の点については、著者も本書の初めに記述しているように、誘拐されたと思われる約1時間前後の事件現場の公園に出入りした大人の人数39人に最も公園を利用する里方虎吉の名前がなかったことを指摘しているし、捜査本部が1回目と2回目の捜査において「シロ」と判断した真犯人のアリバイが、平塚八兵衛が加わった3回目の捜査での初歩的な事実関係の確認によって、覆ったことが象徴的であった。杉下右京や深山大翔が登場しなくとも、丹念に事実を確認すれば良いだけの話ではないかとやや憤りすら感じた。

後者の点については、筆者自身が、真犯人の出身地の集落の状況や兄弟親戚関係、戦後直後の東京での暮らし向きなどを丹念に紹介している。ただ、事件動機と安易に結び付けようとしない姿勢には、元新聞記者の矜持を感じた。

安直な表現であるが、2回目の東京オリンピックパラリンピックを控えた我が国は、1回目の時代からどう変わり、何を忘れ去ったのだろうかと考えさせられた。