石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「異郷の新春」

戦時中の北京で発刊された幻の雑誌 が発見され、その中の数点の作品が、『新潮』(2016年2月号)に掲載されています。中でも佐藤春夫の「異郷の新春」という詩が掲載 されていることが、注目を浴びているようです。というのも、佐藤は、戦時中に戦意高揚の作品を発表し、翼賛的だと批判をされてきたからです。ところが、今回、新たに見つかった作品には、戦争や兵士を連想させるくだりはなく、佐藤の新たな一面を垣間見せています。

佐藤といえば、谷崎潤一郎の妻である千代子(千代としている場合もある)と結婚する 細君譲渡事件 を連想させる(大正19年(1930))。

友人の妻を双方というか、三者合意のもとで、元の夫から次の夫に譲り渡すというのは、世間の耳目を集めずにはいられないゴシップには違いないが、それに拍車をかけたのが、三者連名で自らの知人友人に事の顛末を挨拶状として送付したことである。文壇で著名な佐藤と谷崎のこの行動は、当然のことながら、新聞記事に取り上げられることとなり、注目の椿事として取り上げられた。

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このいきさつを松本清張は『昭和史発掘2<新装版>』(文春文庫(2005))に詳述している。それに倣うなら、いかに男女の仲に寛容であった時代といえども、妻の姉お初にあこがれ、妻の妹おせいと関係を持った谷崎の特異性は特筆すべきことである(もちろん他の女性とも関係はあった)。それに加えて、大正10年(1921)3月に起こったいわゆる 小田原事件 も併せて、注目されるべき事柄である。ご承知の通り小田原事件は、谷崎が佐藤に妻である千代を譲り渡そうと決断したものの、途中で気が変わり、約束を反故にし、佐藤と谷崎が絶縁関係になった出来事である。約束を破った谷崎は悪いとはいうものの、人の妻を譲り受けることが出来なかったということで立腹すること自体に良心の呵責が生じないところが、倫理的道義的に世事を超越していると思う。そもそもそんな約束自体が、友人の間で成立すること自体が、興味深いということである。

その経緯は、文学的には谷崎の『蓼喰ふ蟲』に詳述されており、松本清張もそれを底本とし、夫である要を谷崎に、妻である美佐子を千代子に、阿曾を佐藤に見立てて、解釈をしている。それはそれで筋として成立しているかにみえるが、後年、千代子はもちろん、その養母やその妹であるおせい、はたまたその家庭に出入りする佐藤などとも生活をともにした、弟の終平が記した『懐かしき人々 兄潤一郎とその周辺』(文芸春秋(1989))では、阿曾は千代子と関係のあった和田六郎であると示唆されている。

松本清張の精緻さをもってしても、完全な人間関係を把握することは出来ないのは当然であるものの、時代背景を押えながら、それぞれの人物を立体的にとらえる手法はさすがであると感じた。現代の視点から見れば、佐藤も、谷崎も、千代子も人倫を踏み外してはいるものの、それはそれとして、文学的人生として成立していると言えるのではないか。