石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『喰い尽くされるアフリカ 欧米の資源略奪システムを中国が乗っ取る日』

出版不況と言われて久しい中、その影響を受けてか、時間的にも予算的にも丹念な取材が出来なくなり、特に、日本のノンフィクションの分野の凋落が懸念されている。松本清張や『日本共産党の研究』時代(この作品は秀逸である)の立花隆まで遡らなくとも、一橋文哉(『三億円事件』や『「赤報隊」の正体』など)、町田徹(『日本郵政
解き放たれた「巨人」』、『東電国有化の罠』など)、船橋洋一(『カウントダウンメルトダウン』など)、清水潔(『殺人犯はそこにいる』など)などの素晴らしい作家は存在しているものの、一方で、NHKなどの映像取材班の潤沢な制作費を前にすると、簡単には太刀打ち出来ない状況も、また、真実ではある。

そんな中、英国のフィナンシャル・タイムズ(昨年12月に日本経済新聞の傘下になったことはあまりにも有名)の調査報道特派員である トム・バージェズの『喰い尽くされるアフリカ 欧米の資源略奪システムを中国が乗っ取る日』(山田美明 訳(2016)集英社を手に取った。

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中国人(主に、徐京華が率いるクイーンズウェイ・グループ)とアフリカの権力者(アンゴラで言えば、ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領とその親族などの「フトゥンゴ」と呼ばれる取り巻き連中)が石油や天然ガスなどの利権を巡って暗躍する世界が、読み手の頭の中に映像として浮かぶぐらいのリアリティを以って描かれている(小生の稚拙な頭の中には、G(あえて伏字)のアーマライトМ16が何度も火を噴いている映像が思い浮かんだが(笑))。

最近よく国会答弁などで「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」というフレーズを耳にすることがある。戦後の日本人にとってこの価値観は自明のものと受け止められているが、これはあくまでも一つの価値観に過ぎない(小生が「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」を否定しているわけではない)。この価値観から見ると、資源大陸であるアフリカは一見、悲劇的である。ただし、バージェズはその悲劇を表層的に捉えるのではなく、背景にある資源を取り巻く利権構造の根源に迫ろうとしている。

アフリカの資源収奪は、旧宗主国であったフランスや英国などの専ら得意とすることであったが、20世紀末に内戦で疲弊したアンゴラの国家再建の際に、援助した資金が、腐敗の温床と目されているドス・サントス大統領に私的に流用されることを欧米諸国が嫌がり、資金援助を拒否した。そこで、ドス・サントスは、欧米諸国を見限り、中国に資金の活路を見出した。ここに、中国がアンゴラに低利の融資を行い、アンゴラはその資金で設備投資をして、返済は石油や鉱物資源で行うという「アンゴラ方式」が誕生し、その後の中国のアフリカ資源の収奪の雛形となった(PP105)。このやり方は、内戦時における武器と資源の交換にその原型を見ることができる。

アフリカ復興のために支援した資金を独裁者に収奪されることを、欧米諸国が懸念したために、結果的に中国がアフリカにおいて勢力を伸ばすきっかけを作ってしまった訳だが、中国がより狡猾であったのは、欧米諸国のように「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」などの政治的価値観を押し付けずに、石油や天然ガス、鉄鉱石、ダイヤモンドなどの資源を手に入れることのみに専念したことである(PP192)。この価値観を捨て去ることと人的ネットワークを重んじる(華僑などを思い浮かべてもらえれば分かり易いし、この人的ネットワークが、実は、商習慣の相違を乗り越える機能を果たしていると思われる)経済活動のスタイルが、グローバル化した経済状況の中で、中国勢が他国に比して強みとなっていることは、間違いない。

先ほどは触れた価値観の一つに「民主主義」があったが、アフリカの悲劇は資源を有するが故にこの「民主主義」が実現できないというジレンマがある。例えば、2014年のナイジェリアの政府収入のうち国民が支払っているのはわずか4%(PP82)であり、残りの大部分は資源から得られる収入で賄っている。このことが、統治者と被統治者との社会契約を非成立にさせている。つまり、「税金を払っていないのだから、政治に口を出す権利もない」ということであり、アメリカ独立戦争のスローガンの一つである「代表なくして、課税なし(No Taxation, Without Representation)」を逆手に取ったやり方である。

日本の国会に目を移せば、現在、環太平洋戦略的経済連携協定(=TPP)の議論が佳境を迎えつつある(佳境というほど国民の中に議論が巻き起こってはいない)が、アフリカで失敗した米国は、世界の中での軍事力が相対的に低下したこともあり、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配」という価値観を共有した上でしか経済活動が出来ないと考え始めたのであろう。それは、つまり、米国自らが有利になる土俵の上でしか、富を得ることが出来ないと認識し始め、かつ、ベトナムアフガニスタン、イランを経て、シリアに至る中で世界の覇権国家としての自信を失ったことを意味するのかも知れない。