石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『随行記 天皇皇后両陛下にお供して』

昨年8月8日(月)に今上陛下が、象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば を表明されて以降、天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議 の設置を始め、国民の間でも様々な立場からの議論がなされている。

そんな中、平成19年に侍従長に就任し、平成27年に退任した川島裕が記した『随行天皇皇后両陛下にお供して』(2016、文藝春秋)を読んだ。ほとんどは初出において、月刊誌「文藝春秋」で掲載されていたので、一度は触れた内容であったが、改めてまとめて読み直すことが出来たことは、今上天皇陛下のご公務に対する姿勢を垣間見る貴重な経験となった(もちろん小生のような俗人が、1冊の本を読了したところで、陛下のご公務の断片すら理解出来ないと思うが)。

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この著作は、「慰霊の旅」、「友好の旅」、「被災地を訪ねて」の三部構成になっている。もちろん、陛下のご公務はこれ以外にも、国事行為(内閣総理大臣最高裁判所長官の任命、憲法改正、法律、政令及び条約の公布、国会の召集など)はもとより、全国戦没者追悼式や国民体育大会へのご臨席や水稲お手まきやお稲刈りなどの稲作への関わりなど多岐に亘っていることは承知の通りである。その上で、両陛下のご公務を最も近くで支えてきた筆者が、焦点を当てている「慰霊の旅」、「友好の旅」、「被災地を訪ねて」の三つは特筆すべきことであると思われるし、小生もその重要性を再認識した。

第一部「慰霊の旅」では、平成17年の戦後60年のサイパンバンザイクリフやスーサイドクリフなど)と平成27年つまり戦後70年のパラオペリリュー島の訪問やアンガウル島への拝礼など)への訪問の模様が描かれている。

サイパンは、米軍が上陸した昭和19年6月15日からの3週間の戦闘によって、日本軍人軍属約43,000人、民間人約12,000人、米軍約3,500人、巻き添えになった現地人約900人が死亡した(いずれの数字も本書より)。この激戦地の訪問の移動中、平成6年に訪問された硫黄島(1ヵ月で戦死者約20,000人)を空中から熱心に眺められたことの記述も印象に残っているが、スーサイドクリフとバンザイクリフでの黙とうの後、ホテルへの帰途で、「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にお立ち寄りになられたことは、両陛下の追悼と平和への強い思いを感じざるを得ない。恥ずかしながら、「太平洋韓国人追念平和塔」へのお立ち寄りに関して、お立ち寄り自体そのものもそうだが、事態紛糾への懸念から事前の公表をせず、報道関係者からの抗議があったと初めて知った。

パラオは、米軍がペリリュー島に上陸した昭和19年9月からの約2か月間で、日本軍約10,000人、米軍約1,700人が死亡した(いずれの数字も本書より)。当初、まず最も大きいバベルダオブ島に飛行機で入り、その後、ペリリュー島に平底のモーターボートで渡る予定であったが、あまりにもリスクが高いために再考となり、海上保安庁の巡視船「あきつしま」がヘリコプターを搭載して、ペリリュー島に停泊するという行程が組まれた。余談になるが、このパラオを含むミクロネシア、マーシャル及び北マリアナ諸島は、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により日本が委任統治を行っていた地であり、南洋庁開設時点の大正11年に、日本人は数十人であったが、以後多くの日本人が移住し、昭和10年には日本人が51,861人となり、島民総数の50,573人をわずかながら上回ったほど、日本とは親和性のある場所である。ここでは、西太平洋戦没者の碑に深々と御拝され、その後、ペリリュー島からさらに南西にある激戦地であったアンガウル島に向かって拝礼された。そして、サイパン同様、その後、米陸軍第81歩兵師団慰霊碑で黙とうし、最後にオレンジビーチでは命を落とした日本将兵に深々と一礼なさった。

第二部「友好の旅」では、平成3年に訪問する予定であったが、インドネシアの山火事による視界不良のために飛行機が運行できなくなり、キャンセルを余儀なくされたマレーシアのペラ州を訪問し、15年ぶりの約束を果たしたことや、エリザベス二世女王の即位60年(ダイヤモンドジュビリー)の午餐会と60年前の戴冠式に出席しているのは、ベルギーの現国王であるアルベール2世と陛下だけであることや、その60年前の戴冠式で1905年のノルウェー独立の際の初代国王と陛下がお会いしていることなど、不敬を承知で表現するならば、時代を記憶として継承する存在はただただ圧倒的である。また、一方で、その戴冠式が行われた昭和28年における英国の反日感情や昭和46年の昭和天皇の英国訪問の際まで続いていた反日感情が存在したという歴史と、我々の世代はしっかりと向き合わなくてはならないと感じた。

第三部「被災地を訪ねて」では、東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば に関する話や帰宅困難者を皇居にお泊めになったこと、計画停電の困難を分かち合ったこと、様々な配慮の上に七週連続で一都六県の被災地のお見舞いに赴かれたことなど、いかに被災地に寄り添われているかが記述されていた。

読了後、いかに不遜な小生でも、久々に自省の念が起きた。