石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

『中川政七商店でみつけた、あたりまえの積み重ね』

過日、十三代中川政七さんの御母堂である中川みよ子さんから『中川政七商店でみつけた、あたりまえの積み重ね』(中川みよ子、2017、PHP研究所)をご恵贈賜わった。みよ子さんとは、中川政七さんの十三代襲名披露の折、名刺交換し、その際も他の客人も多数いたため、お互いに「いつもお世話になっております」という紋切り型のご挨拶をした程度だったと記憶している。中川政七商店を支えられたということで、もう少し派手な押しが強い方と勝手に想像していたが、奥ゆかしい気品が漂う印象だった。

その印象は著書を拝読し、なお一層強くなったが、なかなか面白かったのは、

「恥ずかしいことですが、私が担当していた麻部門が以前赤字だったことを、息子(=中川政七、石原注)の著書 を読んで知りました。主人が私に「遊 中川」を託したときは、「奈良晒の中川政七商店」の存続が一念。私に収益のことを言うより、のびのびとものづくりをさせてくれていたんだと思います。そんな主人の気持ちは息子にも引き継がれているようです(笑)」(PP43)

とあるように、政七(=息子)さんが、会社員を辞めて中川政七商店に戻ってきた際に任されたの麻部門が赤字だったことを知らなかったと自著でさらっと告白しているところである(「知らなかった」というのはあくまでも演出だろうとは思う)。

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本著の真髄は、日常生活の質を向上させるためには日々の積み重ねを大切にすることを説いていることである。しかし、日常生活を漫然と過ごしていれば質が向上するのではなく、知恵や工夫を凝らし、自らを高めようとする態度が重要だと主張している。

その主張がより説得力があると考えられるのは、中川政七商店の主力商品が、日常生活で用いられるものが多く、他の類似商品とは、ブランドやデザインだけでなく、機能性や素材などの面でも優れていることである。日々の積み重ねを大切することが日常生活の質を向上させることにつながり、大量生産大量消費で失われた素材の持っている機能性や作り手である生産者の技術や思いが知恵や工夫として生きていることが重要である。この考え方は、モノづくりだけでなく、接客業などの第三次産業にも当てはまるし、場合によっては第一次産業の成長にも通用すると思われる。

みよ子さんは、「遊 中川」のブランドで、自らが欲するもの、自らの日常生活で使いたいものを商品化し、その欲望の部分を他類似品との差別化の切り口にした。これは小生のような素人が言葉にするのは簡単ではあるが、実際に成功するには並大抵のことではない。なぜなら、自ら欲するものが、他人も欲しなければならないからである。ただ、一つ言えることは、自らを供給者の立場に留まらせずに、需要者の立場にもならなければならないということである。「自分が欲しくないものは、他人も欲しくないが、自分が欲しいものは、他人も欲しいとは限らない」という原則を徹頭徹尾厳しく見極めることが、底流に存在しているのだと思う。

「遊 中川」のブランドロゴは、正倉院宝物の「麟鹿草木夾纈屏風」(りんろくくさききょうけちのびょうぶ)をデザイン化したものであり(PP24)、自宅の玄関には同じく正倉院宝物の「紅牙撥鏤尺」(こうげばちるのしゃく)の柄を用いたタペストリーが掲げられている(PP25)。そのタペストリーの画像と一緒に、『正倉院宝物』の書籍3冊(北倉、中倉、南倉)が写っていたので、早速、購入してパラパラと斜め読みすると、厳密には、「麟鹿草木夾纈屏風」は現存しておらず、「麟鹿草木夾纈屏風」として扱っているものは「鹿草木夾纈屏風」(しかくさききょうけちのびょうぶ)という記述に出くわした。

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ただ、国宝珍宝帳(正倉院に納められている宝物の記録巻物の五巻のうちの一巻)には、「麟鹿草木夾纈屏風」が17疊で、内、「麟鹿草木夾纈屏風」が12疊、「鹿草木夾纈屏風」が5疊となっていることから、「鹿草木夾纈屏風」は広義の「麟鹿草木夾纈屏風」の一部をなすことから現存する「鹿草木夾纈屏風」を「麟鹿草木夾纈屏風」と述べても完全なる過ちではない。完全なる間違いではないが、我々が通常目にしているのは、正確には「鹿草木夾纈屏風」である。ここまでくると「麟鹿草木夾纈屏風」に描かれる麒麟はどんなものか見たくなる。脱線ついでだが、夾纈とは、デザインが彫られた2枚の板に複数折した布を挟み、板の外側に開けられた穴から染料を順番に流し込んで布を染め上げる染色技法である。この染色方法は、長い間なぞであったが、近年、そのなぞに迫る研究も進んでいる。さらに脱線ついでだが、「紅牙撥鏤尺」とは、象牙を紅に染め上げ、その上に動植物を均等に描いた物差しのことである。アニメのキャラクター付き定規の起源を見るかのようだったが、「紅牙撥鏤尺」には肝心の目盛が付いていない(笑)

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本著には、生産現場を取り上げる「工房を訪ねて」というコラムがある。その中の一つに京都の「染コモリ」が取り上げられ(PP30)、「手捺染(てなっせん)」について書かれていた。この技法が、先日の こもガク祭 で小生が体験したスクリーン印刷とほぼ一緒だった。昔ながらの染色技術と現代の印刷技術が繋がっていることに素直に感動した。