石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

平時と有事、レジリエンス

東京都による外出自粛要請によって、周辺4県も外出自粛や東京への流入自粛を呼びかけることになった先週末辺りから、新型コロナウイルス感染症の影響が、異なる段階に入ったように感じる。

 

感染経路不明の感染者の増加も重要な指標ではあるものの、もう少し深刻だと思われるのが、医療機関や老人福祉施設障がい者施設などにおける集団感染の問題である。少々乱暴な言い方になるが、逃げ場のない状況に置かれている人々にウイルス感染の確率が高まっていると言うことである。そして、このような事象は、現時点で起こっている施設のみに起こりうることではなく、全国どこの施設でも当てはまることではないかと言うことである。

 

であるなら、どのような対応が必要となるのであろうか。平時の延長線上に有事の対応が存在するとは考えないことである。特に、それが生命や健康、生活そのものに密接に関わる分野であればあるほど、周到に用意しなければならない人や資材が多過ぎるために、それが困難であると考えられる。資材に関しては、資金を投入すれば準備することが出来るかも知れないが、人に関しては、数を確保する以上に、教育や育成をする期間と機関が必須であることから、平時と有事の切替可能な組織が必要になると考えられる。

 

一定以上の年限を修了しながらも、さらに専門的知識や経験を獲得するために学んでいる大学院生が有事に現場で貢献出来るような仕組みを作ることは、国民にとっても理解が得られると思われる。例えば、医師や看護師を目指す学生で一定以上の資格を有するものであれば、学費を免除する一方で、有事の際には現場の最前線に立つことを必須にする。高等学校や高等教育の無償化の要件に加えても問題はないと思う。

 

レジリエンスな組織の構築、今後の日本の大きなしかしながら、避けては通れない課題である。