石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「福沢諭吉」は同じではない

昨日27日(月)に、政府は、いわゆる「10万円給付金」などの緊急経済対策を含む令和2年度の補正予算を国会に提出しました。その主な内容については、政府や与党内での議論においてほぼ明らかになっていましたので、早ければおよそ2週間前から、遅くとも閣議決定がなされた21日(火)以降のおよ1週間前から、「一般的な」地方自治体は、国の施策との関連を加味しながら、自らの判断において、各施策の洗い出しをすることになります。

 

今回の「新型コロナウイルス感染症」(=「新型コロナ」)対策においては、医療や介護現場の崩壊の回避、一般住民の行動の抑制(各学校などの休校措置や事業者への休業要請を含む)、必要最低限の生活の支援などが、行政が関わる重要なポイントです。加えて、時々刻々と変化する事態に対応するスピード感が求められます。

 

そういう観点からいくと、「10万円給付」は国会レベルにおいてもスピード感が求められたが故に、制度設計を含めて、最終的な決定がなされました。確かに、この「10万円給付」は全ての国民にとってスピード感が求められる訳ではありませんが、「新型コロナ」の影響で収入が激減もしくは皆無となった人にとっては、スピード感は不可欠、と言いますか、文字通り生命線です。つまり、金額は同じ10万円でも人それぞれに価値が異なるということです。

 

それさえ踏まえていれば、ほぼ確定的となった「10万円」を1日でも早く手元に渡す算段を考えるのは当たり前です。一部の市町村では始めているようですが、遅くとも補正予算が成立した直後(私は今からでも社会福祉協議会と議論をして、生活福祉貸付制度を活用すればすぐに出来ると思っていますが)には、生活資金に逼迫した人に10万円を無利子で貸し付ければ良いだけです。

 

さらに、今、考えなければならないのは、政府や行政のキャッシュを、家計側のキャッシュショートしている(もしくはしかかっている)部分に流し込み、一時的にせよ家計側のバランスシートを拡大させることです。そのことが、社会全体を下支えすることになります。

 

先に触れたスピード感もそうですが、平時の1万円と有事の1万円の価値は異なることが理解出来ていれば、平時になんでもかんでも「無料」「値下げ」と甘言を弄することは、危機管理の観点から避けなければならないことは自明です。ただ、今となっては、"It is no use crying over spilt milk." なのでしょうが・・・(笑)