石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「ふしぎなポッケ」はありません

昨日のブログ で取り上げた 国の出先機関改革関連法案 が、昨晩遅くに閣議決定 されました。

三条市長である 盟友 國定勇人 さんもリアリティのある憤りを爆発させています。彼曰く「石原さんのブログはいつも恬淡としてますが、初めて 熱いブログ を見ました」と指摘されたこともありますし、國定さんのこれまでのご労苦とご尽力に敬意を表する意味からも、少々踏み込んだ書きぶりにしたいと思います。

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全国の532名の市町村長さんとともに「地方を守る会」を立ち上げ、小生も当初から再三再四、問題点を指摘し、この法案には反対していました。今回の閣議決定は、政党間の協議も全く行っていない訳ですから、百歩譲って上程出来たとしても、まともな審議が出来ないことが分かり切っている 衆議院の解散の前日 に行われました。

それに何の意味があるのでしょうか?

昨日の夕方以降、民主党内の手続き、政府の地域主権戦略会議、持ち回り閣議と時々刻々とその行方が伝えられていましたが、本当に閣議決定するとは常軌を逸している印象を拭うことが出来ません。

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           【今朝の御在所岳(せめて写真ぐらいは爽快なものをと思いまして)】

野田首相が「(今回の国の出先機関改革は)これまでもきっちりと議論を積み重ねて来ている案件であり、地域主権の重要な柱である」ということで、かなりのこだわりをもっていらしたと伺っています。

しかしながら、小生はこの短い言葉に対してだけでも、以下の2つの点において、問題点を指摘したいと思います。

1つは、ご本人は「きっちりと議論を積み重ねて来ている」と仰っていますが、議論する相手を間違っては、その議論の意味がないことです。
確かに地域主権戦略会議などの会議を回数だけは何度も行っていますので、野田首相や政府与党から見ると「議論を重ねて来ている」となるのだと思いますが、政府与党は、都道府県知事や元都道府県知事を相手に「これからの地域」のあり方を議論してきていることを鑑みますと、「地域主権」(小生は「地域主権」という言葉は用いず、「地方分権」という言葉を用いますが)について話し合う相手が間違っていたのだと思います。

ある程度譲歩しまして、都道府県も話し合いに参加をしてもいいとは思いますが、「地域主権」を話し合う第一の相手は市町村ではないでしょうか?
別に小生が町長の職にあるから申し上げているのではありませんし、誤解のないように申し上げますが、何も都道府県の存在意義や役割を否定している訳ではありません。
ここ数年の間、現実的に様々な法律が改正されて、住民生活に関わる多くの権限が市町村の業務となってきており、「地域主権」の担い手は明らかに基礎自治体である市町村だと考えているからです。
政府与党は、これまで、その市町村の代表機関である全国市長会全国町村会、さらには532名の市町村長で組織する我々「地方を守る会」が提起している問題に対してなんら回答することがありませんでした。そのことは市町村は議論する相手ではないと言っているのと同じであり、小生が、野田総理及び政府与党が「議論を重ねた」相手を間違ったと指摘している点です。

2つは、「(国の出先機関改革は)地域主権の重要な柱」と述べていることから、「国の権限を縮小すること=『地域主権』」と間違った認識に立っていることです。
以前、前原誠司さんにお会いした際 にも申し上げましたが、いくら「地域主権」といっても自衛隊が議論の俎上に上ることがないのと同じように、国が責任を持って果たさなければならない問題については、地方に権限を移すことが出来ないということです。今回の議論の中でも特に、国土交通省地方整備局に関しては、国土保全は国の責務という立場から、都道府県の構成組織たる特定広域連合に移管することはあり得ないことだと考えています。こんなことがあり得るなら、国防という国の責務を放棄して、自衛隊を特定広域連合に移管することが論理的には可能になってしまいます。

あまりこういう表現は用いたくありませんが、「いくらでも財源はあるんです!」と放言して作成したマニフェストの主要施策を財政的理由から全く実現できなかったことの反省に立ち、自分達が勝手に思い描いた希望的観測に基づく思いつきの発想(小生に言わせれば「妄想」ですが)は止めて頂きたいと思います。

こんなこといいなできたらいいな
   あんなゆめこんなゆめいっぱいあるけどぉ~
 みんなみんなみんなかなえてくれる
    ふしぎなポッケでかなえてくれるぅ~

という「ドラえもんの歌」がありますが、「ふしぎなポッケ」はどこにもないことにそろそろ気付いて頂きたいのですが...。

繰り返しになりますが、国会に上程する気もない法案を閣議決定するという愚挙はどう理解すればいいのでしょう。新聞記事が指摘しているように、マニフェストの実行割合の数字を上げるための単なる パフォーマンス なのでしょうか?