石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

屋久島だったのか(笑)

昭和18年10月に農林省林業調査のためのタイピストとして仏印のダラット(現在はベトナム)に赴任した幸田ゆき子と既に現地に赴任していた農林省林業技師である富岡兼吾との情痴的小説『浮雲』(林芙美子(1953)新潮文庫)を読んだ。

確かに「今さら、林芙美子?」と思われるかも知れないが、過日、奄美大島に赴くに際して、奄美大島に関連した小説はないものかとインターネットで検索をかけたら、何故かこの『浮雲』がヒットした。というより、詳しく読めば、それが奄美大島とは関係ないことは明らかなのだが、林芙美子を読んでみたいという気持ちがあったので、「これは渡りに船」と早合点したのが実際のところである。おかげで、読めども読めども奄美大島の話題は出てこず、屋久島が舞台となる場面が出てきたところで、勘違いに気付き、「そりゃそうだ、奄美群島は昭和28年12月に本土復帰を果たすのであるから、小説が描写されている昭和21~22年では奄美大島が舞台になりようがない」と自らの歴史認識の不明を恥じた。

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やはり、林芙美子の真骨頂とも言うべきは、嫉妬や焦燥、駆け引き、誘惑、呵責、偽善などを含む広い意味での恋愛時の心理描写である。

「ゆき子は、時々微笑が湧いた。深いちぎりとはまではゆかないけれども、一人の男の心を得た自信で、豊かな気持ちであった。もう、遠い伊庭の事などはどうでもいい。富岡の一切が噴きこぼれるような魅力なのだ。川のように涙を流して愛しきれる気がした。冷酷をよそおっていて、少しも冷酷でなかった男の崩れかたが、気味がよかったし、皮肉で、毒舌家で、細君思いの男を素直に自分のものに出来た事は、ゆき子にとっては無上の嬉しさである。富岡の冷酷ぶりに打ち克った気がした。昨夜、たやすく、加野の情熱に溺れてゆかなかった強さが、今日の幸福を得たような気がして、ゆき子は何時の間にか、満足してうとうとと眠りに落ちていた」(pp65)

前夜、ゆき子に女性としての興味を示さず、侮辱した言葉を発した、現代で言うならば上から目線のニヒルな上司である富岡が、次の日に二人きりになった際、恋愛関係に踏み出した。ゆき子から見れば、富岡を落としたと確信した心情の吐露が、上記の引用になる訳だが、このような心のやり取りに広い意味での恋愛と悪女の内面を見ることができ、人間の業や性を感じざるを得ない。

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また、内地に引き上げてから、事業に失敗し住む家も手放し、病気の妻にも先立たれ、ゆき子と一緒に行った伊香保で出会った行きずりのおせいもその夫に殺され、行き場を失った富岡が、ゆき子を訪ねて来た際には、

「ゆき子は、後向きになりながら、ふっと舌を出した。とうとう富岡が、落ちぶれてやって来たかと思うと、胸のなかが痛くなるほど、爽快な気がした」(pp353)

と、これまた空恐ろしいものの素直な気持ちを表している。「落ちぶれてやって来た」心を寄せている富岡に対して、「胸のなかが痛くなるほど、爽快な気がした」とは、どんな心持ちであったのだろう。こういうスリルのある心情のやり取りは、大なり小なり恋愛には欠かせない醍醐味ではあるが。

富岡とゆき子が別々の場面で口ずさむベトナムの流り唄がある。
「あなたの恋も わたしの恋も
初めの日だけは 真実だった
あの眼は 本当の眼だった
わたしの眼も あの日の あの時は
本当の眼だった
いまは あなたも わたしも うたがいの眼」(pp173,179)

あれだけの心情のやり取りが出来る男女でも「真実の眼」が欲しいのだろうか。いや、そういう男女だからこそ「真実の眼」を求めるのだろうか。