石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

「美を追わない仕事、仕事の後から追ってくる美」

過日、パラミタミュージアム で開催されている 没後50年 河井寬次郎展 -過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今- のオープニングレセプションに足を運びました。

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河井寛次郎は、言わずと知れた陶工であり、大正末期から昭和初期にかけて現在に続く民藝運動柳宗悦濱田庄司らと展開した人物です。パラミタミュージアムを運営する 公益社団法人岡田文化財団 の理事長である岡田卓也さんや 河井寛次郎記念館 の館長であり、寛次郎の孫さんにあたる河合敏孝さん、同学芸員で同じく寛次郎の孫にあたる鷺珠江さんらの挨拶に交じり、来賓としてご挨拶を致しました。もとより門外漢ですから、気の利いた挨拶は出来ませんが、寛次郎の「美を追わない仕事、仕事の後から追ってくる美」という言葉を引用しつつ、民藝運動と関わりの深かったバーナード・リーチがプロデュースし、寛次郎の作品も展示してある リーチバー の心地よさをお話ししました。

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鷺さん曰く、今回の企画展の目玉は、本邦初公開の山口大学で発見された作品群です。澱彩透文喰籠(でんさいすかしもんじきろう)を初めとする9作品が居並んでいました。東京高等工業学校(東京工業大学の前身)で科学的に窯業を学び、京都市陶磁器試験場に入所して、釉薬の研究をした寛次郎だけあって、その乳濁さが良かったです。個人的には、桃図碗で軽くあぶった河豚なんかを食してみたいと感じました。

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民藝運動以前の寛次郎の作品を「技巧的で無意味」と批判した柳とは、口も利かない間柄でしたが、それを濱田が橋渡しをし、悪関係が氷解したきっかけは、柳の自宅にあった木喰仏でした。そういう意味からすると、展示されている2体の木喰仏が、また違った味わいになります。

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沼波弄山生誕300年を迎える萬古焼きの関係者も自らの行く末を考える機会として、本展示会に足を運ぶことをお勧めします。

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