石原まさたかの痛快!風雲日記(2.0)

使い方は追々考えます(笑)

100mか、42.195kmかは誰もわからない

前回のブログで、「新型コロナ」の局面が違う段階に入ったと触れました。三重県北勢部に関しては、これからクリティカルな状況に差し掛かって行くと思われます。そして、それは、3月の1ヶ月間にどのような準備をしてきたかが問われることでもあります(例えば、高齢者世帯への生活必需品の手配や臨時の収容施設の準備など)。

 

2月27日の第15回新型コロナウイルス感染症対策本部において、安倍首相による小中高等及び特別支援学校に対する休校要請の際に、拙ブログにおいて、地域の状況はそれぞれ異なり、かつ、「新型コロナ」の災禍は終始未確定ですので、状況を見極めることと、社会的混乱を生じさせない対応の必要性を述べました。僭越ですが、小生なら、恐らく、短縮授業などの変則的な形にはなったかも知れませんが、最大限の注意を払いながら、3月中は学校を開校していたのではないかと思います。

 

さて、4月ですが、一先ず、入学式や始業式は実施し、児童生徒の個人及び家庭環境の状況把握をするべきだと思います。そして、その後は、いつでも休校に出来る態勢を取りながら、情報収集を実施し、その都度判断していくこととなるでしょう。

 

一方で、保育所は閉鎖の対象にはなっていませんでしたが、0〜2歳と3〜5歳に区分して課題を整理する必要が生じてきたのかも知れません(ただ、現在の小生は、政府などのリアルな情報に接することが出来ないので、的確に判断するには、もう少し詳細な情報が欲しいですが)。

 

日々刻々と変化する状況に最大限かつ適切に対応するには、未来に起こりうる事態への想像力と自らの組織が有している能力を熟知することが必要になります。加えて、今回の災禍は、100m先にゴールがあるのか、42.195km先にゴールがあるのか、はたまたそれ以上先なのか、誰にもわからないことから、持続性と集中力がより重要になるでしょう。

平時と有事、レジリエンス

東京都による外出自粛要請によって、周辺4県も外出自粛や東京への流入自粛を呼びかけることになった先週末辺りから、新型コロナウイルス感染症の影響が、異なる段階に入ったように感じる。

 

感染経路不明の感染者の増加も重要な指標ではあるものの、もう少し深刻だと思われるのが、医療機関や老人福祉施設障がい者施設などにおける集団感染の問題である。少々乱暴な言い方になるが、逃げ場のない状況に置かれている人々にウイルス感染の確率が高まっていると言うことである。そして、このような事象は、現時点で起こっている施設のみに起こりうることではなく、全国どこの施設でも当てはまることではないかと言うことである。

 

であるなら、どのような対応が必要となるのであろうか。平時の延長線上に有事の対応が存在するとは考えないことである。特に、それが生命や健康、生活そのものに密接に関わる分野であればあるほど、周到に用意しなければならない人や資材が多過ぎるために、それが困難であると考えられる。資材に関しては、資金を投入すれば準備することが出来るかも知れないが、人に関しては、数を確保する以上に、教育や育成をする期間と機関が必須であることから、平時と有事の切替可能な組織が必要になると考えられる。

 

一定以上の年限を修了しながらも、さらに専門的知識や経験を獲得するために学んでいる大学院生が有事に現場で貢献出来るような仕組みを作ることは、国民にとっても理解が得られると思われる。例えば、医師や看護師を目指す学生で一定以上の資格を有するものであれば、学費を免除する一方で、有事の際には現場の最前線に立つことを必須にする。高等学校や高等教育の無償化の要件に加えても問題はないと思う。

 

レジリエンスな組織の構築、今後の日本の大きなしかしながら、避けては通れない課題である。

消費税を5%に出来るかがポイント

当初からある程度予想されたことではありますが、我々の社会生活に対する新型コロナウイルス感染症(以下、「新型コロナ」)の影響は、日々大きくなってきています。今週末も、東京をはじめとする関東地域では、外出自粛要請が出されるなど、直接的な制約も徐々に増えてきています。

 

そういう中において、政治の場においても緊急経済対策の議論が活発になってきています。あくまでも個人的な関心ですが、今回だけに限らず、政府レベルでの緊急経済対策については、財政、金融、税制の分野でどのような施策が、どれくらいの規模で打ち出され、それがいつまでの期間を見通したものかが重要です。

 

今回の「新型コロナ」に関しては、令和2(2020)年7月1日から令和4年(2021)年3月31日までの間、消費税を5%に減税出来るかがポイントとなるでしょう(といいますか、小生はそうするべきだと考えています)。小生は、地方自治体レベルであれば、公債発行を社会資本整備に限定し、他の経費については中長期的な視点で収支の均衡を図る立場ですが、通貨発行権を有する政府レベルであれば、別の考え方を持っています(詳細は別の機会に譲ります)。

 

日本の現状では、マイナス金利に象徴されるように金融分野の施策は最大限実施されています(デフレ脱却にはあまり影響はなかったようですが・・・)ので、残るは、財政と税制になると思います。消費税は1%で約2.5兆円と見込まれていますので、5%の減税で約12.5兆円となり、国民一人10万円給付するのとほぼ同等の額となります。

 

現金給付に関しては、貯蓄に回るとその効果が発揮されないことから、計算上の額は同等であっても、効果に違いが出ることから、優先順位を付けるなら、消費税5%減税が高いと思います。

 

平時であれば、規模が拡大した世界経済に対して、政府や公共セクターの資本的役割は小さいですが、世界経済の規模が、一時的であれ、縮小した現在のような状況であれば、政府や公共セクターの資本的役割が相対的に大きくなっていますので、財政と税制の施策がより有効に働くと言えます。

予想、意図、牧歌的期待

明らかな場合は別だが、人事異動に正誤はない。つまり、正しい人事異動も、誤った人事異動も存在せず、あるのは結果だけであり、その結果もゼロサムではなく、濃淡が存在するだけである。

 

何故か。人事異動は、あくまでも未来に生じるであろう事態への予想であり、組織の運営指針に対する意図であり、個々人に対する牧歌的期待でもある。であるから、ある組織で行われた人事異動を評価する場合は、その正誤で判断するのではなく、予想、意図、期待を基準として、その裏にあるものを読み解かなくてはならない。

 

逆に最悪の人事異動は、未来への予想や組織に対する意図、人に対する牧歌的期待の存在しない、つまり、人事異動が自己目的化したものである。「4月が来るからやらないとイケない」といった類のものである。

 

そうは言ったものの、人事異動は、組織内の人間関係に大きな影響を与えるものであり、異動される側から見ると、自己中心的な受け止め方(「アイツが、俺より早く昇進したのは、上司へのゴマスリが上手いからだ」とか、「閑職に追いやられたアイツの未来は無くなったな」とか、「俺が正当な評価を受けてないのは、直属の上司に恵まれないからだ」などなど)が、説得性を持ち、羨望や嫉妬、怨嗟が蠢き、ルサンチマンの原因を作り出すことにも繋がる。ただ、この羨望や嫉妬、怨嗟は人間の本質の一部をなすものであり、こういう感情が人間社会の原動力になっていることは、ある種の真実でもある(小生は、これをある種の真実と認めるものの、個人的には相当な距離を置いているが)。

 

予想、期待、意図などの組織運営の手法だけでなく、羨望、嫉妬、怨嗟などの人間の感情の両側面を認識した上で、あえて果断し、それを組織にとって上手く使いこなせるかが、トップの資質を測る鍵だと言える。

幼児性か、無知か、

20日(金)〜本日22日(日)のカレンダーで言うところの3連休に入る前に、新型コロナウイルス感染症の対応を巡って、大阪府知事兵庫県知事の発言に注目が集まったようです。小生は、19日(木)の夜のテレビニュースで、大阪府知事の会見を垣間見た程度ですが、その後の兵庫県知事の反応などで一気に話題となりました。

 

昨日の拙ブログで触れましたが、「『四人場』とガマ将軍【R18】」が、Facebookの規定に抵触したとの廉で、他人には閲覧出来なくなっていた(21日(土)7:00に嫌疑が晴れ、現在では閲覧可能です)ので、当たり前ですが、大阪府知事が小生のブログから着想を得て、会見でのあの発言になった訳でなありませんし、小生のブログを見るほど暇ではないでしょう。

 

ただ、小生のブログには、「記憶に辿り、2009(平成21)年の新型インフルエンザ関連の調べ物をしていた際の論稿に、神戸高校の関係から、故 鴻池祥肇氏に話が及び、南喜一へと繋がる記述があった」とあるように、2009年の新型インフルエンザの際には、海外渡航歴がないにも関わらず、県立神戸高校の生徒が感染したことで大事となったことに触れています。つまり、当時、神戸市をはじめとする周辺自治体を含む兵庫県は、新型インフルエンザで、厳しい状況に置かれた経験があると言うことです。

 

大阪と兵庫の交通移動の制限の要請自体の空虚さとは別に、大阪府知事は、2009年のことを知っていて、今回の発言をしたのかが、小生には気になりました。確信犯的に兵庫県を名指ししたのであれば、それは一般常識が問われると思いますし、知らずに発言していたのであれば、政治家としての資質や大阪府庁の組織としての運営手法が問われることになると思います。

 

幼児性か、無知かの、烙印が押された可能性は否定できません。

初体験

小生は、ブログ記事を投稿した際には、自身のフェイスブックにも告知をします。

 

全く気付かなかったのですが、前回の「『四人場』」とガマ将軍」に関する投稿が、「スパムに関するFacebookのコミュニティ規定」に違反する廉で他の人に表示されなくなっていました。

 

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先ほど「Facebookであたなの投稿の表示が再開されました」との通知があり、他人への非表示のことを初めて知りました。FacebookのAIロボットが探知したのか、誰かが通報したのかは、分かりませんが、なかなか興味深い事態だと思いました。

 

AIロボットであれば、「R18」、「娼婦」、「殺される」などの言葉が引っ掛かったのだと推察(ここでこの単語を書くと、また、本投稿が非表示になる可能性がありますが、それも一つの実験です(笑))されますし、通報であれば、「言葉狩り」的な発想か、こういう内容がジェンダーの問題として受諾出来ないのかも知れません(それはそれで個人の自由ですが)。

 

あと、考えられるのは、日本酒「黄桜」のコマーシャルと間違えて、拙ブログから日本酒を発注しようとしても出来なかった人が怒ったのかも知れません(笑)

「四人場」とガマ将軍【R18】

過日の拙ブログで日比先生の「四人場」について触れた。

 

勝負事に始まり、コミュニケーションの場面では、自分と相手に加え、それを仕切る人、さらに見守る観衆の四者が必要だということである。

 

新型コロナウイルス感染症が大きな話題になっている最中、記憶に辿り、2009(平成21)年の新型インフルエンザ関連の調べ物をしていた際の論稿に、神戸高校の関係から、故 鴻池祥肇氏に話が及び、南喜一へと繋がる記述があった。「ガマ将軍」で有名な南は、元共産党員(実弟が、関東大震災の際に警察に殺されたことは余りにも有名であり、南自身も殺されかけた)でありながら、転向後は、実業家として名を馳せ、娼婦の地位向上にも盡力した。

 

その娼婦の地位向上にも盡力(相当な自己矛盾を含んでいるが(笑))した南は、女性は同時に4人以上と付き合わなければ揉め事が起こると言ったと、先の論稿には記されていた。

 

そこで、久々に、手許にあった南の記した『ガマの聖談』をめくってみた。第7話「女房は最低四人持て」とあるので、確認してみると、先の論稿に示された「彼女が、一人、二人だと喧嘩になるが、四人以上なら諦めて、それぞれが仲良くなる」と書かれてはおらず、他の理由が示されていた。

 

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南喜一(1980)『ガマの聖談』蒼洋社

 

ここでその理由を述べることは、拙ブログの趣旨に適合し過ぎるきらいがあるので、遠慮しておくが(笑)、逆に「四人場」の意味を再確認するに至った。